運動は苦手なのでかけっこで誰に負けても気にしません。バイクも運動なので程ほどに。

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有史以前

私のバイク好きはなんといっても仮面ライダー(どちらかというと一文字隼人ファン)の影響だ、駄菓子屋の1枚10円の紙袋に入ったカード(袋の中の写真は買うまで確認できない)でもサイクロン号の写真ばかりを狙っていた、一度後ろから撮った写真をゲットしたがナンバーを付けているのが不思議だった。今考えるとサイクロン号のデザインはホンダの250cc 6気筒のグランプリマシンのコピーだったのだがそのころは排気のエネルギーで走行するので6つのマフラーがついていると思っていた。(排気は下2気筒分しか出てなかったけど(2スト単気筒を振り分け)実際戦闘機のマスタングP51などは排気で80km/hほど速度をかせいでいるそうだ)よくスズキの実用車 125cc であのアクション(歌のバックでのジャンプ)をこなしていたものだ。それと比較するとキカイダーはマッハT(750SS)のサイドカーに乗っていたがアクションは地味だった。(アクセルターン位) あと、ガッチャマンの女性の人(私はダイキャストのミニカーを持ってた)やマジョッコメグのライバルの魔法使い(紫のアイシャドー)や峰藤子(赤いなにをけって〜〜。バイクの音はトラのデイトナだそうだ)や侍ジャイアンツのヒロイン(列車を追いかけてジャンプしてカウンター!)やワイルド7のオートバイシーン(ちゃんと最終回のオフロードにはトランポからオフロードマシンを出すシーンを作る凝り様)にも胸踊らせたものだ。

近所に止まっていたバイクのメータを見てはこれは80km、これは200kmなどと言って喜んでいた。(その頃はメータの一番上の数字が最高速だと思っていた)まだメータの180km/h規制はなく750は200kmのメータをつけていたように思う。

自転車で止まる時はいつもリヤブレーキだけを使ってカウンターを当てて止まっていた。ある雨の日に交差点で止まろうとしてそのまま180度回って転んだらバイクのおにいさんが「それはバイクでやるものだ」と言った。

いつもいく床屋で床屋のおにいさん(常にバイクを床屋の前に止めていて今でもXL250を止めている)がよその客と「知り合いでモンキーを改造した奴がいてバイク屋が125と交換して欲しいと言っても断っている」なんという話をうらやましく聞いていた。

近所のラーメン屋さんの配達人が雨で事故を起こして何人も交替しており、バイクは危険なもののようだった。

四国の田舎に帰った時に親戚の郵便カブの後ろに乗せてもらった。大変怖かった。

この頃のマンガにかなりバイクの描写に本格的なものがあり。バンビーンクライドラー、カンパーニョのマグネシウムホイール、ロータリー、コンチハン、トマゼリのクリップオン、ロックハートのオイルクーラ、4into1などの言葉が魅力的に配されていた。(ぶっとべ380のことではない。「熱風の虎」というマンガらしいです。)


16才に

高校に入り先輩のダックスの発進を試させてもらう、 何回やってもエンストかウイリーしてしまう。 DAXのエンジンはニュートラルでも実にゆっくりと吹け上がる。 MT50ではロデオのように何回もウイリーと接地を繰り返したこともある。 今考えると1台しかない自分のバイクを無免の後輩に良く貸してくれたものだ。 ウイリーは今は1100に乗っても全然できないのに。 (この頃はダックス、R&P、ノーティダックスなどカブ(or CB50)の エンジンに幅広低圧タイヤの原付がごろごろしていた、ヤマハはチャッピー、スズキはバンバン、男KAWASAKIはAR50まで 原付なんて作らなかった) 自分でも免許が欲しくなり高校を1日休んで鮫洲でとった。 多分満点だと思う(無駄な勉強の多い人生)。 鮫洲では免許をとったあと試験コースの一部を使って原付の試乗をしてくれていた (たしか私が試乗したのはスズキシャリー)。 コーナを4回まわるだけだったがアクセルオンのままチャリンコ のように曲がろうとしたら遠心力で思ったラインが描けなかった、 チャリンコの時は曲がる時に失う速度と釣り合わせるために自然にハンドルを切れ込ませて回転半径を徐々に小さくして遠心力を増加させていたようだ、とにかくパワーの凄さに感動した。翌日学校に行くと普段は私など問題にしない不良のおねえちゃん達も拍手してくれた。


XL50S(XEからXLになって直ぐ)


なつかし〜〜〜〜

雨の伊東ユースホステル前に到着。

高校1年頃。高校の友人2人と初めての集団ツーリング。右はKくん(元気にしてますか)、XLもエンジンがかかっているが4ストはきれいな排気。レイダウンしたリヤサスなど雰囲気は満点。 もうすでにシートは私の体重に音を上げて皺がよっている。 自転車屋さん兼バイク屋から購入したので自転車と同じキーホルダーが泣かせる。

初めて買ったバイク。新車で14.6万円だったと思う。バイク屋さんは50cc は馬力がないから2ストがいいと言ったのだがXL250S(23inch!)とほとんど同じに見えるカタログの写真のカッコ良さで XL50S(16inch 後輪は14inch!) にした。CB50譲りのエンジンはフィンが美しくとても魅力的だった。実物を見て小さいのに少しがっかりした。

若いということでバカ高い任意保険に入った。数万もしたと思う。

ニュートラルの入れ方がわからずしばらくは足でバイクを押しながらニュートラルに入れていた。半クラを使うことを教えてもらい目から鱗。

このバイクが一番大切にしたバイクで千円で安売りしていたコンパウンドのきついsoft99のかけすぎでわずか3ヵ月でタンクの塗装がはげて銀の下地が出て来るぐらいワックスかけした。ニーグリップのし過ぎでエンジンの塗装も落ちた。

CB50S のメガホンマフラーからの美しい排気音と比べると黒いマフラーの共鳴音は少し下品だった。ステップがオフロードタイプの鉄板を曲げてぎざぎざを付けただけだったので靴の裏がぎたぎたになったが可倒式 であったので何回コケても元通りになった。ハンドルの握りのゴムも妙に本格的なもので凹凸が深く素手では痛くなるほどだった。

ヘルメットはオレンジのジェットタイプだった。今のようにゴーグル等が簡単に手に入らず、大きな顔にオレンジのジェットヘルはかっこ悪かった。

歩行者天国の商店街の中にいあるバイク屋に行こうとして違反で捕まった。かなり必要とされる状況でも私は一生警察には協力しないと思う。権力の行使とは?

マフラーの取り付け部やキャリアの裏などにサビが浮いてきたのでCRC-556漬けにした。

タンクは4.5Lしか入らずリザーブまでの3.5Lでも航続距離は十分だったがガソリンスタンドで少ししか入らないので申し訳なかった。

ウインカーのリレーがスイッチを入れた瞬間に滅→明の順になるものでタイミングが遅れる。カワサキのように明→滅で動作するものに替えたかったが当時は方法がわからなかった。

スポークホイールの調整がしたくてニップル回しを買ってきてスポークを叩いて増し締めしてみた。音が変化するのはわかったがどうなればいいのかはわからなかった。

このバイクは私が購入した唯一の強制開閉式キャブ(aprilia RS250もだった)でアイドル付近に急に全開にするとエンストしそうになるしおもしろいキャブだった。

雨の日はプラグキャップに雨水が入ってエンジンが止まることがあった。雨の日は帰ってきて完全にエンジン、マフラーから水気がなくなるまでアイドリングしてからエンジンを切った。(近所迷惑)

プラグは1本しかなく2バルブで外しやすいのでいろいろ番手の違うものに付け替えて焼き色などを見てみたがあまり違いはなかった。

ある時、奥多摩有料道路に行った。途中で路肩に雪が積もっていた。あるコーナの路面が黒くなっていた。曲がろうとしたらそのまま路肩の雪に突っ込んだ。黒い所は路面が凍結していたようだ。これが初転倒だった。

シートが柔らかくて尻に張りつくので長時間は乗りにくかった。MT50のようにほとんどシートにクッションが無い方がいい。(MTはあのサスがあってのあのシートだろうけど)

先輩がMT50を持っていて結構気楽に貸してくれたのでこの頃の遠出はXLよりもMTでしたほうが多かった。MTは燃費は悪かったが制限速度以外は実用的にはまったく問題なかった。

この頃の原付といえば「私にも乗れるんです」と八千草薫に言わせたパッソルだ。今欲しい。ソフィアローレンもロードパルを宣伝していたが子供には彼女の色気がわからなかった。(八千草薫ならわかるわけでもない。)

後輪を滑べらせてのターンがやりたくて土の駐車場でバイクを寝かせて急にクラッチを繋いだらバイクからはねとばされてしたたか頭を打った、この時からヘルメットを必ず着用するようになった。

国道1号線の3車線の真中の車線を走って五反田に向かう途中に白バイに止められて「何故ハジを走らないんだ」「あぶないから」と答えたいうこともあった。今考えると良く4ストの原付で1号線の中央車線を走ったものだと思う。(通行帯違反でキップを切られた)

車の間から右折してきたGSX400Eのフロントタイアに乗り上げる事故も経験した。この時はメータのトリップを0に戻す軸が曲がり(前方にジャンプした私の左足が当たったのだ)、ウインカーも片方割れた。GSXのおにいさんはスズキの販売店につとめていて、今度スズキを買うときは値引きしてくれると言っていたが結局実現しなかった。ウインカーは店にあったCB250RSから外して付けてくれた。

始めてのツーリングは甲府の手前、大月の扇山を目指した、高尾山駅の前を過ぎるとなにやら霧が濃くなってきた、50cc のしょぼいライトではまったく道がわからずセンターラインの真上を走行して峠を越えた、これが始めての大垂水だった。扇山の登山道の入り口まで初めてのオフロードも経験した。

高校の友人でもちらほら原付を買い始めTY50(トレールだ、よくこのシートでツーリングをしたもんだ。このバイクはヤマハオートセンターで買った。一緒に見に行った時はギヤレバーとかが曲がっていて「ほんとにこれ買うのかよ」という感じだったが納車の時はきれいになっていておどろいた。彼はトレールが欲しくてこのバイクを買ったのだ、この頃は50でも皆真剣だった。)、TS50と3台で泊まりがけで伊豆にでかけた。雨の中ろくなカッパもなく大変だった。宿泊場所は鉄ちゃんのTS50のアサインでユースホステルになった、ミーティングはなかったがいろいろルールがあって面白かった。

私の高校のクラスにも何故か族の人がおり(地区で一番偏差値の高い公立高校に合格する不良。学業と族の両立は大変だと思う)文化祭の準備に友人宅に集まった所へ直菅のGS400が来た。すぐ横で聞くと直菅は本当に音が大きい。

この頃友人と走りに行くというと平和島の埋め立て地のあたりに造成の都合で使われなくなった立派な道路(もしかしたら今は沖合移転した羽田空港に行く道なのかも)がありそこへ友人と行っていた。そこはまだ道路がつながっていない場所でコーナーが一つあったが100kmでもあまりバイクが寝ないようなコーナだった。友人は走りに行くというと擦るからと言って RD250 のメインスタンドを毎回外していた、RD250 のモナカマフラーをまず外すのだがかなりの重さで作業は2人がかりだった。

RD250の彼はウイリーが上手くよくやってくれた。この頃はまだ曲がるということに世間の注目は集まっておらず (オートバイ誌の俺サでも峠を走るスーパーカブとかが取材されていた。俺サっていうのはその頃は冗談ページだった)上手いといえばウイリーだった。 「俺の友人でRG250Eでウイリーの上手い奴がいて族の前でやったが上手いので許してくれた」なんていうのが話題だった。 道を走っていると良くビートのサイドカバーのZ400FXとかが交差点でウイリーを披露していた。BEET工業の美藤代表は フレディのメカもした程の人らしいが、FXの標準仕様?の部品を当時は楽しく作っていたのかな?。 RDの彼はヘルメットに高橋国光などのレーサのサインをいくつかしてもらっていた。

最初はオレンジのジェットヘルだったのだがやはりなんなので黒のフルフェイスを買ったところ、Z250FT の友人に黒はやめろと注意された大田区では危険らしい。

やかんタンクで族をしていた中学の同級生の口癖は「バイクは又に爆弾かかえてるようなもんだから」だった。

友人のZ250FTは「掃除をすれば手を切る」言われたカワサキらしくフレームの溶接が半分しかされていない所があり溶接棒が付いたままだった。またFTは本当にギヤのタッチが無くてニュートラルに入れるのが大変だった。あれは技術が足りなくてああだったのか、なんか考えがあってああしていたのか今でも気になる。

このバイクで教習所走りを練習して鮫洲で小型免許を取った。受験車両はCD125。さすがに125は受ける人数が少なく予約も直ぐにできたし、合格すると大型を受けに来た連中も拍手してくれるのでお得だ。

この頃はやたらと免許を見せるように言われた、小学生の時に塾の帰りに既に「お仕事のお帰りですか」とおまわりさんに声を掛けられるほど老けていたがヘルメットを付けると若く見えたのかもしれない。

2国にあったパーツ屋でオイル注入口につけるブリーザパイプを買ってきてつけた。手をパイプにかざすと確かに空気が出入りしている。

ホテルニュージャパンが燃えたりした次のある朝、TVを見ると羽田のC滑走路にDC-8が墜落していた、 良く行く浮き島の近くだが受験生なので見に行けなかった。 まったく余談だけど、この時のNC-9に解説者として出ていた柳田邦男氏はごく初期の段階からリバースに スロットルが入っていることを指摘したりしておかしかった。本来ならブレーキをかける筈のNC9のキャスター氏 (磯村さんと木村さんの間の人)も「もう一度繰り返します。柳田さんのお考えでは〜〜」なんて何度も繰り返しおかしかった。 航空無線等で情報を掴むか副操縦士を早くから掴んでいたんじゃないだろうか。この後のチャレンジャーの爆発とかに呼ばれた時の柳田氏はおよびじゃないの植木等みたいにまったく切れがなかった。 昭和島にもバイクが行ったり来たりしている場所があった。

ヤングマシンなどの雑誌は本当にえらいと思う。50ccなど今では自転車にしか思えないと思うが真剣?に24時間耐久(RGB500でレースをしている人間をRG50に乗せたり)をしたりして盛り上げてくれる。新車の説明も本気度がつたわってくる。私も何故ホンダは7.2psのMB50を投入しないのかと考えていた。

オートバイ誌もこの頃良く読んでいた。 編集長のオー氏、黒の初代RZ250を買ったバイトのオオタ氏などの記事を読んでいた。 医者の息子で全日本500ccクラスにプライベータとして出ていて 雨の公道でRZ250で事故で死んだ人(草間郁夫氏)や斎藤仁氏(この人もプライベータ。垂水のそばの20号のジンプライズはまだあるかしら)の 記事も良く読んだ。 俺サもこのころは取材に峠に行って勝手に走っているバイク(ほとんど実用車の原付)の 写真を撮って勝手なコメントを付けるというものでのどかだった。 自分で撮った写真の投稿は自撮といって小さく扱われていた。記事的には、「ハングオン日本」、 「(裏六甲有料道路の)二輪通行止めの標識。怒りでカメラも揺れてしまった」、「定常円旋回?そんな写真はRC誌へ送ってくれ」、 「KH250、しょぼいサスだが綺麗な路面なら滑べるように曲がる。あとは紫煙の彼方へ消えるのみ」、 「清さん、Z1300を扱えるプロフェッショナルも彼位になってしまった。」、「バイトにはボーナスが出ないので オオタはなすに棒を刺してはしゃいでいる」とかだったような。イトシン氏のマンガもあったが、彼は私より年下のようだ?

CBXを買うことになり 8600km 走行した所で高校のクラブの先輩に売った。


CBX400F(出て直ぐ)






箱根にて。

昭和57年頃。買ったばかりのCBXと高校の友人。 近所の洋品店で買ったぺなぺなの皮ジャンが泣かせる。
皮ジャンの下に着ているのはXL50Sを買った時にもらったホンダのベスト。 このCBXのカウルは映画「ハイティーンブギ」で近藤真彦が 乗っているものとおなじだそうだ。(カスタムクラフト滋夢のカウル 。当時はオートバイ誌でも宣伝されていたと思うが高価でもあり、ネット 上ではこの写真しかないですね。) 先輩の着ているジャケット、ヘルメット、ともにCBXとともに売り出されたもの。 この頃、マッチはザベストテンでノーヘルでCBXを乗り 回しながら歌を歌って黒柳徹子に顰蹙をかっていた。

大学受験も終わり二子玉川の東急でZ400Twinに跨りながら中免への限定解除を行った。 8時間の実技だけだった。「750ライダー」(作者は西蒲田のマンションに住んでいてマンションの下には 砂型の K0 がいつも止めてあった。「この重苦しい排気音はCB750に違いない」 なんてこの頃の750といえばスーパーバイクだった。 ちなみに私の高校はこの漫画の高校のモデルと言われていた。 委員長はいなかったが。 石段下りも近所の本門寺がモデル)の漫画のとおりに旧巨人軍グラウンドあたりの多摩堤通りでは 車線を封鎖して両車線を使ってゼロヨンをしていた。 彼等は、「すみません〜、今ここを通りますので危ないのでハジに寄せてください」と 丁寧に対面通行の道路を封鎖していた。 「やっぱりGSよりヨンフォアの方がはええぜ!」なんてもりあがっていた。 この頃ここらを走っていて後にオートバイ誌の0-400&最高速GPで有名になるB&Hの三原国光氏は当時「タイアは真中だけあればいい」と言って友人を呆れさせていたらしい。 多摩川の河川敷で四角く舗装してある所があってそこでも毎日バイクがぐるぐるしていた。Mr.Bike にも 何枚かそこの写真があったと思う。GSX-1100E でウィリーしたり。(昔、編集部が雪ヶ谷にあった。)

高校時代にホーク3のケツに良く乗っていたのでスーパーホーク3を買いに行くがもう在庫が無くCBX400F を買った、ブルーが納車が早いというのでブルーのツートンになった。スーパホークVの宣伝は若きスペンサーが草むらみたいなところを曲がっているものでなかなか良かったノダガ。

最初は大事にしていて自転車用のチェーンをかけていたがある日に忘れて発進したらチェーンはあっさり切れてしまった。

モトライダーかなんかの記事で、ホンダはCBX+スーパーホーク3、ヤマハはXJ400+XJ400D、スズキはGSX400E+GSX400F、カワサキはZ400FX+Z550FXで24時間耐久をするとう企画があったCBXははやばやと転倒してオイルを吹いてしまい下位にしずんでいた。

この頃のヘルメットは紫色のものになっていた。グローブはずっと自転車用の軍手を愛用していた。

燃費は飛ばそうがゆっくり走ろうがかわらず20km/lで一定していた。ホンダの4気筒はこういう傾向が多いようだ。

この頃はシールドで視界がゆがむのがいやで高速でもシールドを上げて走行していた。あるとき蜂がメットと頭の間にはさまった。刺された。

CBXといえばこの映画「スローなブギにしてくれ」、第三京浜とかが出てきて最高だった。 デビューしたての浅野温子が本当にかわいかった。 (記憶違い。スーパーホーク3 浅野温子は間違いではない!?)ある友人は、「彼のオートバイ、彼女の島」を読んで 免許を取りに行ったが、公道を一度走っただけで危ないとバイクを降りた。

最初のツーリングはクラスメートのZ250FTとその友人の先輩のCBX400F(赤白カウル付)と箱根に行った先輩の部屋へ行くとその頃はまだスクランブルがかかっていない警察無線がかかっていて「これは未成年でも実名とかなんでおもしろいんだ」などと言っていた。箱根に行く途中の東名では先輩はかなり出したがその頃は最高速などはまったく出せず(余談だが最高速&0-400グランプリも最高速を出すこと自体が難しい時代だったから人気があったかも)ついていけなかった。「ここでアクセルをワイドオープン」(by ネモケン)。箱根では現在では建物で富士山がみえなくなっている場所などで写真を撮った。

このバイクは良く乗った最初の数ヵ月は毎日ガソリンを入れ毎週オイル交換をして毎日200km走り(通学距離は往復で60kmなのに)半年で18000km乗った。

全然授業に出ず、学食の前でバイク談議ばかりをしていた。(食事も一日4回位学食で食べた。太った)

特に好きだったのが環八の渋滞で新聞社の社旗をつけたプレスと良く競争をした。 彼らは安全確認を完全にするので無鉄砲なバイク乗りよりは遅いがハンドルさばきがすばらしい。 彼らが左の車間を選んだらこちらは右というふうに競争していた。 この頃はわざわざ新宿に渋滞を走りにいったりした。「走りの共同を拝みやがれ」 バイク便が流行るのはまだだいぶ先のことだ。

新宿で汚れた英雄を見た帰りは友人を2ケツして特に速く府中に戻って来た記憶がある。 汚れた英雄のウイリーは平が不得意なので木下がやっている。 バイクはTZ250改の3気筒350を作った片山をモデルに 外側2気筒後方排気の並列4気筒最後のモデルを プライベータのメカニックが作ったことにしていた。 けがをした時のつなぎをかざるのはバリーシーンの家のマネだろう。 花のシーンは伊藤史朗がモデルらしい。(原作は北野氏がモデル) 最初の2スト4気筒をレーシングするシーン (TZのマフラーを写していて、白煙がアクセルを煽ると吹き飛ばされていく)が本当に最高。

ある時明治通りでワーゲンのフェンダーにハンドルが軽くあたった。会釈をすると運転手の男性はなんともないようだったが助手席の彼女がけしかけて車から降りてきた。女性はこわい。

毎日バイクにのっていると頭より先に体が動くようになる、トラックとガードレールのすき間などに体が先に反応して突っ込んで行って後で冷や汗をかくことがよくあった。のれてくると車の動きはウインカーよりも運転手の頭の動きを見るようになる大抵のドラーバーはウインカーをつけるより先に頭を動かして確認するのだ。あとアイコンタクトも重要だ人間はまだ動物の野生を少しは残しており見られると視線を感じるのだ相手の注意を欲しい時は相手を見るといい。

いくつかの違反を貯めて30日の免停になり講習会で2日にした後に 赤紙をもらう違反をして家裁送りということになった。(不思議なことに累積点数はその場では判らないので 違反によっては免許を取り上げられないが、この時は一発で免停の違反をしてしまった) どんな所かと期待していったが大森の環七のところにある普通の建物だった、 それなりのかっこのおににちゃんの次に面接みたいのをして終わり。 3000円の違反金の納入が遅れて警察署に呼び出されて払ったこともある。指紋を採られるが指を捕まれて ぐりぐりと指紋全体が紙に付くように回される。

広島の世羅西町出身の同じクラスの奴がヘルメットのNAVAをみて広島でなばと言えばキノコのことと言ってよく笑っていたが、それ以来広島出身の知り合いができるとかならずこの話をするが、だれも「なば」をキノコのことだとは言わない。(この頃マルコルッキネリがNAVAをかぶってSUZUKIで500ccチャンピオンになった)

この頃は本当にバイクの感覚がしみついているのでテレビでレーサーがバンクしているのを見ただけで自分の限界を越えて走っている感覚がして全身に汗をかいた。今は残念ながらなんともない。

通学もずっと続くと車線変更するタイミングも決まってくる。ある日、環八の田園調布の田園都市線を越える所でたまたま真ん中の車線を走っていたところ隣の車線を逆走してくる族がいた。いつもはそちらの車線を走っていたのでびっくりした。

前輪18inchのシングルディスクはあまり効かなかった(実際VT250の16inchの方が絶対的な制動力でも上だろう、雑誌で16inchを移植する記事もあった)が後輪はこの頃までのバイクの特徴で簡単にロックさせることができて良く遊べた。カウンターを良くやった。

環八と甲州街道の交差点の角に掘ひろこさんがやっていた「ひろこの」が当時はあり 黄色の外装にキスマークが書かれていた。一度だけ中を覗いたことがある。ひろこさんがいらしたが目をあわせる度胸もなかった。 掘ひろこさんは当時数少ない女性ライダーでラベルダの7504気筒等を駆って雑誌等で活躍していた。 中村由美さんも雑誌の対談でひろこさんのラベルダにタンデムしてから 2輪に乗られるようになったと思う。 おみせの外装はあの後もしばらくは黄色だった。Ken's Talk の「いい人程〜」が記憶に残る。

この頃は道を知らず、蒲田から秋葉原に行くのに四ツ谷を何時も経由していた。

買った当時はメインスタンドを良く擦っていたが、4耐に挑戦する雑誌の記事でリヤサスの空気圧を上げると良いとあったので2→3kg/m**2に上げるとやっとステップを擦るようになった。この頃は4耐の最初の年でヨシムラはプライベータに4気筒は高過ぎるとかでGSX400Eで挑戦してた。

X型のマフラーはCB400F(ヨンフォア。この頃は排気脈動効果なんか考える必要はなくマフラーはきれいなくし型に4into1をかたちづくっていた。サイドカバーが黒いのは408cc)ほどは美しくなく掃除がしにくかった、インボードの鋳鉄ディスクも洗車のたびにサビを噴いた。

とりあえず、ブレーキランプと一体化したウインカーはまだデザインがこなれてなかった。フロントウインカーも蝶ネクタイみたいだった。(アンダーブラケットの高さにウインカーがあるのはホンダの伝統デザイン)

ジュラ鍛でできていたハンドルは何度こけてもなんともなかった。レバーも交換したことはなかった。

ナンバーは71-09(無い霊柩)という番号だった。最初の箱根ツーリングで曲がる車にナンバーを引っかけられて直ぐに折れたナンバープレートになってしまった。

ツーリングで1号線の清水あたりを走っていた時に眠くなり雨の中カッパを着てバイクの上でハンドルの上に頭(ヘルメットをかぶったまま)を乗せて路肩で2時間ほど寝た。CBXはまだタンクとシートの段差が少なくこんなことが可能だった。この頃の夜間の1号線は夜間は完全に信号無視だったので赤信号のたびに路肩によけないとトラックに轢かれてしまう。

エンジンは6000rpm を境に排気音から吸気音になるかのように音が変化し(ホンダはこういった味付けが得意だった)いっきに吹け上がった、感覚的な加速の暴力さはホーク3の方が勝っていた。何気筒かわからないといわれたホークの400cc超ショートストロークエンジンは最高だと思う。(F1 でホンダが当初失敗した理由がショートストロークにあったとしても)

この頃は国立市の小学校、中学校の守衛のバイトをしていて学校で良くバイクを洗車した。ラビット関根に似てると生徒に言われた。ある時小学校で8時過ぎまで寝込んでしまい、トイレの窓から入った小学生がカギをあけて起きたら枕元に校長が立っていたことがあった。後で校長室に呼ばれた。

ホンダのバイクにはこの頃からちゃんとしたハンドリングがあった。CBXと比べるとGSX400Eなどはタイヤを螺子止めしただけで直進とコーナリングのめりはりが全然感じられなかった。

ある冬の日珍しく大量の雪が降った(最近は異常気象のせいか珍しくないけど)、根性でバイクで大学に行こうと環八の用賀あたりの左車線を走行中ドンと頭と肩に鈍い衝撃があって全く目が見えなくなった、なんとかバイクを停止させ(ホント40km/h位でてたよあぶない)、頭に手をやるとヘルメットを完全に雪が覆っているらしい、手で雪をどけると目が見えた、バイクをハジに寄せ(環八でよく後ろを車が走ってなかったよ)、後ろを見るとどうやら信号機の雪がタイミング良く私の上に落ちて来たようだ。

ある日先輩の家の前に駐車していたらサイドカバーが盗まれていた(ゴムにぽっちで止めてあるだけなので簡単に盗める)、次の日にエンジンを掛けようとしたらセルが回らない、見ると今度はバッテリーが盗まれていた。フルトラなので押しがけもできない。スズキのバイクがバッテリーをフレームの奥底に隠すのは盗難防止だろうか。サイドカバーは結局2回盗まれた。この部品はめずらしくシールが貼った状態で販売されていて助かった。

これまた先輩の家の前にとめていたところ夜中に工事があったようでバイクが移動されていた無理に何人かで持ち上げたらしくシートカウルのマウントが割れてしまっていた。

フロントのブレーキキャリパーの交換にディーラに出したあと第三京浜で車線変更をするとなんか振られる、保土ケ谷休憩所で調べると車軸のナットが手で回った、手で仮締めした後本締めしてなかったのだ、ディーラはキャリパーの交換にフロントアクスルを抜く必要はないとかなんとか事実を認めようとはしなかった。

乗り方はまずは、オートバイ誌の荘乗りを参考にハングオンを覚えた(CBX1000のセンタースタンドをかけて荘乗りを教える記事また読みたいな)、確かに外足加重は間違っているかもしれないがハングオンができない人間に教える最初の段階としては良くできていると思う。荘さん(8連勝のトシ)にはだいぶ後に那須スポーツランドで走行会の時に彼女と2人連れで車で来てるのを見掛けた。ヤマハの藤原も彼女をつれて垂水へきたというしバイクの有名人はマイナーで苦労しているようだ。(荘さんは川口オートの前でジャズ喫茶をされているらしい)

多摩霊園の中の道が20号から東八(30m)道路への近道で良く使っていたがある日皮つなぎを着た若者がガードレールに立てかけてあった、次の日に通ると花が飾られていた、近道をする車が横から飛び出して来てぶつけられたようだった。救急車を見た後、死亡事故だったかは次の日に花があるかを見れば判る。バイクは渋滞お構い無しなので車よりも死体や救助を待つ痙攣して横たわる体を見る機会が多い。(峠道ではトレーナがガードレールにくくりつけてあれば死亡)

この頃は爪先乗りが流行っていた片山のメカニックもしていたという熊さん(YUZOチャンバーの人)も雑誌で進めていた(バレーの選手がプレー中に踵を地面に付けるか?の理屈)こともあって皆していた、スガヤのチャンバーのRZ250(オイルは当然カストロ)など皆爪先乗りをしていた。私も爪先乗りをしていたがかかとでサイドカバーをグリップするのでサイドカバーが割れてしまった。

1号線の滋賀のあたりをツーリングしていると信号で対向車線の軽トラの運ちゃんが手を下に出してくるくる回している、思わず手真似をしてみたがなんのことか判らない、100m ほど先でねずみ取りで速度違反で捕まった。次の日の夜、姫路の2号線を走っていると対向車線(片側2車線)を集団で走っているコンボイがパッシングをした、今日はすかさずフルブレーキをかけた、すると目の前を黒いものがふらふらと通り過ぎて左の路肩にぶつかって止まった、良く見るとトラックのタイヤだ、反対車線を見るとコンボイの過ぎ去った後に車が一台残されている、タイヤにやられたようでオイルと水を路面にぶちまけている、しばらくしてドアがあいておっさんがふらふらと歩いて来る、しょうがないので近くのラーメン屋まで乗せてやった、その時貸した友人のヘルメットには鼻血がついていた。それ以来スペアタイアが揺れているトラックの後ろは走るのをやめた。この時の目的地は下関、帰りは2号線1号線で26時間で東京まで帰って来たさすがに泥のように寝た。(最近の1号線は高速並みに走りやすいので昔と同じと思わないように)

走行距離が20000kmを越えたある日環八の久が原あたりを走っていると事故のため左側2車線が規制されて1車線になっていた、そこを通過すると次の信号の所で車線規制の影からコクヨワークスの軽がUターンをしようと飛び出して来た、ブレーキをかけたが停止線の上でフロントからコケて相手の右側のドアにボディーブローを食らわす形になった。頭の中で猪木のテーマが鳴り響き(その当時佐山稔がタイガーをやっていて古館の実況で毎週見ていたのだ)軽の方に向かって行くと中から出て来たのは(里見八犬伝の前の枠かなんかで侍役をしていた当時の)田村正和をさらにひ弱にしたようなやさ男であった。警察は自分達の車線規制の不手際を上司に知られたくないのか人身事故にしないように勧めた。(バイクの事故は全部人身事故にするべし)示談の書類は文房具屋にあるとのことでその男の軽で文房具屋へ向かう「バッジは恥ずかしいから外した方がいいかな」何から何まで気の抜ける男だった。 この頃、4輪の免許を取りに行っており、先生に始めてとは思えませんねとか褒められていい気になって油断していたと思う。

タイヤは最初の何回は純正と同じダンロップのKナントカというのを付けていたがブリジストンからバトラックスというピレリファントムみたいなパターンのもの(雑誌の宣伝も完全にファントムを意識した後ろからの絵だった)がでたのでこれに換えた、低温特性が良くないのか走りだし直後に良くこけるようになった。

友人につれられ横須賀のあたりの倉庫街へ行く、周回路で走行会をしているのだが走っている連中はノーヘルモヒカンである、なかなか異様な光景であった。

ある日実家から府中にバイクで帰りつくとシートに括り付けておいたはずの荷物がない。ヘッドライトをたよりに来た道を府中に戻ると首都高の中央高速の料金所の手前のトンネルになっている所あたりに荷物が散乱しているのが見える。バイクを狭い路肩に止めて走行する車のライトをたよりに見ると中央分離帯から路肩まで万遍なく荷物が分散している。靴の片方や服の切れ端、メリーチョコレートの残骸(3/13だった)などが見つかったが何一つ使えるものはなかった。

ある時首都高を走っているとヘルメットに黒いドッグフードみたいなものがパラパラ当たった、何が降ってるのかなと思ったが前を見ると左後輪を失った車が必死に左に寄せようとしていた。またある時は横の車の前のタイヤがバスケットボールをドリブルするように上下していた、タイヤを指差すと運転手は不思議そうな顔をしていたがじきに顔色が代わりこれも端によせはじめた。

CBXでは車線変更に凝っていたフロントホークを捻ると前輪が隣の車線に向かって面白いように曲がった、ステップを擦ったこともある。(今考えると族のやるローリングというのはこれだろう。エンペラーの元頭だったという岩城晃一が映画の中でZで見事な首都高ローリングを決めている、この映画はこの頃の無軌道な感じを良くだしていて千葉真一もカウンターは当てるし、最後は岩城とヒロインが崖からジャンプして自殺するという凄い内容だった。)あまり調子に乗ってやっていたので府中に大型免許試験を受けに行った帰り(当然落ちた時)に東八でUターンした後車線変更したら自分で前輪を払うような形でこけた、ヘッドライトは割れたが幸い今は無き鬼の中川練習場で借りたブーツを履いていたのでブーツに穴が空くだけで済んだ。通りかかった白バイが感心していた。この頃は本当に低速のUターンでもおもしろいようにステップを擦った。

この頃は授業の教室が変わるだけでもCBXで移動していた。100mの距離でもバイクに乗るので太った。フロ屋にもバイクで行っていたがフロの後でメットをかぶるのはイヤだった。AE86を買ってからは86で行っていたが86が石鹸くさくなってしまった。

大学の新歓が生協であった。自己紹介で日本酒4杯を飲み。CBXで帰ったら数学の教授(単位はくれんかった)や先輩に大変感心された。実は構内を半周して教室で直ぐ寝た。

ちょうどトライアルのバイクがやるように体を完全にリーンアウトにしてその場でくるくる回りステップを擦るようなこともできた。最初CB50でやって遊んでいたのだが試しにCBXでやるとこれでもできてしまった。ホンダの4気筒は完全に滑らかであった。

XJ400を買った高校時代の友人とツーリングした。目的地につくと彼はシート下のツールボックスのカッパの後ろから彼の母が作ったというお握りを出して食べさせてくれた。たしかにかなりの空間があるが食品を入れる場所ではないとおもうが。

環八の墓場があるためにまだ開通していない部分のバイパス路の交差点にちょうどいいアスファルトのこぶがあっていつもそこに後輪が乗った瞬間にスキーの抜重ターンの要領で曲がっていた、ある日同じことをしたらその瞬間にバイクが勝手に前方に滑べって行くのが見えた、太ももを酷く擦った。この時は車の年上の友人達と野球をしに行く途中だったが「というわけなので私は帰ります」と言ったら大変感心された。

CBXのステップのバンクセンサーは750Fと違ってただのテッパンの折り曲げだったのですぐに穴があいた。ステップゴムもぐにゅぐにゅしたものだった。

CBXのライトはやっと普及してきたハロゲンでカットもくっきりとしており水平線から上には光がもれないので夜峠を走ると気持ちがよかった。(この頃はヨウ素球とか言ってた)

ある日先輩が60日の免停になったといってクリップオンハンドルを買ってきた、先輩の CB250RS-Z(赤) に付けてみると板金で作っただけの安物でブラケットの高さが10cm位あり調節ができないのでハンドルの高さがタンクの半分になった。先輩は免停なので私が運転して先輩を乗せることになった。このハンドルはほとんど切れなかったが倒し込みが楽になり重心近くを握っているのでバイクの軽さを感じずに体重が預けられる。しょぼい純正タイヤも気にならずいい感じだった。ある日府中の欅並木で歩いている警官に捕まった。府中警察で(警察官)「改造工場は?」「自分でやりました」とか(婦警)「未成年?老けてるな」「余計なお世話だ」とかいろいろ聞かれて直すように言われた。ハンドルの測定をするときに噂のとおりにタンクの中央からハンドルまでの長さを計っていた。そんなん正確に計れるのだろうか。ので先輩の免停明け前に元に戻した。RS-Zは左右のフォークをこの頃流行っていた空気パイプでつないであるのだがそれを外して作業をしたので、バイク屋に空気漏れの恐れがあると言われて先輩は怒っていた、デモそれ以外に付けようがナイゾ。この先輩は北海道出身で「7時になればもう昼間だ」といってアパートのドアの前でRS-Zのチョークを引いてながながと毎日暖気運転していた迷惑な人だ。あとこの先輩には専門の保険屋がついていて事故の際の負担の比率などをいろいろ教えていた、飲み会にもかならず来ていた、学生を相手にしてても対してもうからないとおもう、我々を紹介すればいいと思うがそういうことはしない先輩だった。この先輩のRS-Zを借りて大垂水を走っていて対抗車線の向こうの壁に擦ってギヤチェンジのレバーを曲げたこともあった、その時はすかさず部品を買ってきて修理した。 あるときこの先輩との約束をすっぽかしたが「女か?女ならしかたない何でも許す」という哲学の人だった。

先輩のアルバイト先の会社員の人がリード125を新車で買ったが音がうるさいので見て欲しいと言われて、見てみると、ギヤオイルがまったく入っていなかった、納車作業に落ち度があったのだろう、そのことを会社員の人に言ってクレームで新車に交換してもらうように言ったが、その人はお店に持っていってコロット言いくるめられてオイルを入れられただけだった。知識が無いのは損なのか幸なのか。

大学のツーリングクラブに参加していた、ツーリングクラブでは5月に新歓ツーリングとして富士山の5合目へツーリングを行う、ただただ飛ばすので当然事故になる富士山の有料道路(北側のやつ)に入るとただただ直線が続くここで遅れまいとアクセルを捻ると突然急な右コーナになってそこで転倒する。この時は先輩がGSX250Eで、先輩はガードレールの上、バイクは下を通過してコーナの外に消えた。救急車で病院送りになった、付き添いは1人だけとのことだったが皆が救急車に乗りたがったのは言うまでもない。次の事故?は、夏には金持ちの先輩の下田の別荘(PL教で柱にピンクのダイヤ?が埋め込んであった)に行くことになっていた、着いて宴たけなわに岬を見に行こうということになった、飛ばして岬に着くと後輩が来ないという、そいつは親がバイクに反対していて無免なのだが先輩の RZ350! を借りてしまったという(俺だって借りたいのを我慢してるのに)、私が先頭で戻ってみるとコーナのガードレールの下にヘルメットが置かれていた、てっきり首が飛んだものと思ったが、それは後輩が自分で置いたものだった。話を聞くとコーナで RZ350 のデュアルディスクブレーキを思いきりかけたところ、減速 G で眼鏡がふっ飛んで視界が無くなったらしい、そのまま彼は直進して運良くガードレールの2mの切れ目(運良くそこだけガードレールが無かった)から2〜3m崖下のどぶ川にダイブしたらしい、彼はかなりの怪我であった、普段は勢いのいい奴だったが親の前ではいい子どもらしくてバイクを廃車にされたのに先輩は親に結構いろいろ言われたという、バイクを貸す前に相手の親には一度会っといた方がいい。RZは横浜に行くにも給油が必要と言われていたが速いことは速かった。この先輩はこの次はNS250Rを買ったが環八の渋滞で冷却液をぶちかます程(本当に私の目の前でぶちかました)のマシンで直ぐに手放した。でカマロを買った。この先輩もCBXを持っていたがフロントスタビライザーという部品を付けていてこけたところバイクが振られるようになったと言う。スタビライザーを一旦緩めたところ収まった。

この頃はまだなかがみやが営業していてたまに行ってはカツ丼などを食べた。 なかがみやのおやじは警察がきらいでそのこともあそこをバイク天国にしていた一因だったそうだ。 まだなかがみやの先のコーナに橋がなく曲がりが急だった。今そのスペースにはパトカーが良く止まっている。(車が入ると「チン」と音のするガソリンクタンドもあった) 皮つなぎを持っている連中も少なかったが走っている連中は多かった。この頃は3つ位の場所に別れて走っていてそれなりにレベル分けができていたように思う。バリバリ伝説を読むとギャラリーが道路以外の部分を歩いて行く記述があるが本当にこの頃は大垂水にも獣道のようにギャラリーが歩く道が山の中にあった。(歩道が全部繋がっていないため)峠の御宿はバイク嫌いだが娘が芸能人だった。 この頃はなかがみ屋前のコーナなどは私のようなものは走ることもできず、車の後についておとなしくなかがみ屋の駐車場に入れ、帰る時もまた車の後で出る程だった。走りたければ早朝に行くしかなかった。(深夜は車が走行する時間)

TBSの生田スタジオや読売ランドがある通称ランド坂にも何回か行った。フィレディは確かにコーナの手前の直線の路肩にラインを塞ぐ形で良く止まっていた。気の良さそうな感じだったが。

府中の免許試験場で750試験を見た後、後輩(2代目VT250F+'83スペンサレプリカ+ホンダ就職)を後ろに乗せて30M(東八)道路を加速したところ後輩がバックミラーの中ででんぐりがえしをしている。笑った。CBXはろくにつかまる所がないので落ちたようだ。

この頃東八道路(30M道路)の野川公園のコーナのあたりでは夜な夜なゼロヨン大会(主に車)が開かれていた。 スタートの合図をする人があぶなそうだ。

この頃は左コーナが得意だったので転倒は全て左に集中していた、スピードメータは2回交換したがタコメータは一度も交換しなかった、この頃のホンダのメータ針は退色が激しかったのでアンバランスだった。メータの裏の電球をはずして取り付けるのが上手くなった。エンジンの左にはセルに繋がるギアのカバーがあったがこれもこけて擦って交換するはめになった。

CBXのタンクは良くできていて、いくらこけてもワックスの擦り跡ができる位で傷はつかなかった。 VT250などはすぐにタンクに穴があいてしまう。(フレームも薄肉大径と凝っているためにすぐに皺が寄る)

アルミのブレーキペダルはけずれて半分の幅になってしまった。(右にも結構こけたのかしら)

体重でシートがつぶれてあんこ抜きしたようになってしまった。

この頃は音でバイクの種類がわかった。CBX,XJ,GSX,Z,VT,RZなどすべて部屋の外を通るだけで分かった。(VTはカウルの有無まで!)

この頃の有名な走行場所と言えば奥多摩有料道路でかなり遠いにもかかわらず月夜野駐車場などにも何回か出かけた。

マフラーの集合部は擦ると錆びがでてまたそこを擦ると地肌がでるような状態になった。バックミラーの裏も擦り傷だらけになった。

この頃はまだ皮つなぎを持っていなかったのでこけると膝に大きな傷ができたまだ跡が残っている。

乗りやすいようにハンドルを調整すると左側を手前に右側を水平にするようになった(何度も左にこけたのでハンドルの回転防止のピンはすでに無くなっていた)左側でハンドルを固定し右側でアクセラレーションする。

友人が VT250 を買ったので、名古屋城の回りの一方通行路(今は多分二輪閉鎖)で乗せてもらった、 とても乗りやすく初めてハイサイトした。VT250は前輪16inchでクギを拾いやすくパンクしやすかった。

ケニーロバーツがなんとなくスピードを落すとコース上に転倒した人(ウンチーニ、彼は500cc の決勝でもヘルメットの紐をかけないらしい) がいたり、それをケニーを抜いたワインガードナーがひいたり。 ケニーが8耐でわざとガスを食わせて冷却したエンジンを平が ブローさせたりしていた。

府中には本田の部品の卸をしている会社があって一般の我々にも部品を小売りしてくれた。 窓口のおにいさんは部品番号を暗記していてだいたいの形や壊れた部品を見せると 直ぐに発注してくれた。部品交換で直るような故障は自分で部品を買ってきて直した。

CBX は、段々混合気が薄くなる癖があるらしく、ある日第三京浜で1気筒が死んだのでプラグを見て見ると完全に電極が蒸発してマッハの平面プラグのようになっていた幸いにもうまく蒸発したようでビストンでシェイクするようなことにはならなかった、プラグを交換し1万でバイク屋さんで燃調をとってもらう。

大学2年の夏休みが終ったところ、GSX400Tに乗っていたバイク仲間の1人が限定解除をしてXV750Eで大学に来た。 内緒で練習して取りに行ったらしい。早速750ブームがやって来た。

鬼の中川で練習し(杉本?も安いので何回か腕をみせに行った)府中で限定解除した。 元白バイ隊長という中川さんは竹刀を振り回す役でバイクはもっぱら若いにいちゃんが乗っていた。 スラロームのパイロンは最後の一本がわざと近めに置いてありそこをクリアするのが難しかった。 良く現役白バイが遊びに来ていた。 ある日ラジオの取材が来ていて「中川さんはどんな人ですか」と質問するので「魚の骨のような人」と答えたら無言になった。

中川のバイクはGSX750EとCB750Kで低速でばかり走るので始動が悪く朝練(試験日は朝試験に行く前に乗れる)の時は外部のバッテリーを繋いで数台試してやっとかかる位だった。

中川ではCBXで身につけた悪いくせがもろにでた。バイクを寝かせるとアクセルを捻ってバイクをささえるので直線をゆっくり走り曲がる所で加速するような感じだった。

乗る前はCBの方が好きだったがCBはハンドルの絞りがきつくて一本橋がGSXより難しかった。試験場での台数もGSX4台に対してCBは2台位しかなく、乗る機会が少ないので乗ったときは初めて一本橋で落ちてすぐ試験中止になった。

中川には350のモトグッチ(V35イモラ)に乗っている女性が働いていた。元気にしてるかしら。

府中試験場では最初に8の字押しと引き起こしをさせられるがバイクは水冷2スト3気筒のGT750ウオータバッファローだった。タンクに砂がつめてあるのではと噂されていた。

スピードメータが新品だったので実は 36000km と正直に申告したにもかかわらず吉祥寺のチェッカーモータースで20万でVF750Fの下取りしてくれた。マフラーは擦って錆びだらけだし、燃調が悪くて6000も回らないのにこの価格とはバイクの価値はやっぱり車種によるなと感心した。






売る寸前のCBX。 マフラー、ミラー、アルミのクランクケースがギタギタ。最初のバトラックスのパターンがわかるだろうか。友人の下宿の前にて。




交換したメータとギタギタのクランクケースカバー。





後輩の'85 VT250Fとヘルメット('83 F.S レプリカ)を借りて奥多摩有料道路を攻める?私。この頃はこんなかっこで走っていた。


CB50JX

同じクラスでバイクの再生などをしている友人から近所に乗られていない状態のいいCB50があるが譲ってくれるよう交渉してみないかと言われて練馬まで行きバイクの置いてある家の人に2万円で無理にゆずってもらった。

色は白でJXはまだ機械式ディスクブレーキで分解してもチョコチップみたいな部品があったりしてどう 動作しているかもわからず効きも良くならなかった。まだドラムブレーキの方が扱いやすい。

この友人とは練馬の方にあるバイク専門の解体屋になんどか行った。 練馬には焼き肉と寿司を食べ放題にする店もありそこにも通った。太った。

友人の家の近くで30km/h位から後輪をロックさせて滑らせる遊びをしていたら近所の人におこられた。

メガホンマフラーは本当に良い音がして11000rpmまできれいにまわりかなりのスピードがでた。 東名高速に屋根があれば乗用車は全てCB50で置き換え可能だろう。この友人は限定解除も持っているのにCB50で かなりのスピードオーバで捕まった。

大学の友人にオレンジのラクーンに乗ったWという奴がいて彼がパッソルなどのスクータ系の原付の乗り方を良く心得ていて綺麗に股を開いて乗っていた。この頃はまだこういった乗り方は珍しく目立っていた。

大学の原付仲間には広島の高校時代から乗っているというMB50(当然ハンドルの低い初期型)の寮に住んでいるやつがいて彼のMB50も借りてはぶんまわしたものだ。このMB50はタンクの下部に穴が開いていてサビで穴を塞いでいるような状態で予備タンクにはするなと言われた。

CBのメータもホンダ伝統の退色がはげしく薄緑になっていた。

友人は自分が欲しくて私に買わせたためしばらくたったら彼に買われてしまった。


VF750F(RC15)




鈴鹿スカイラインにて。

地元の子供に撮ってもらう。 現在もヘルメット以外は全てこのままの格好で走っている。

最初はCB750Fが欲しくて近所の中古車屋で黒のFBを買おうとしたりしたが(当然バリ伝の影響)、 友人に赤のFBがいることもあり値段の安いVFを探した。 この頃はF.スペンサーが最強であり彼がWGP500のついでにブルーの VF750F改をデイトナで軽々と振り回す(当然ぶっちぎり優勝)のを 雑誌(当然ライダースクラブ)で見てこれしかないと思っていた。 だがとにかく価格が高くてなかなか手が出なかった。48万位で購入したと思う。

とにかく重かった。カタナより剛性があり振られることはなかったがとにかく重くかつ高重心だった。とにかく排気量を上げていけば全てが解決するとこの頃は考えていたがそうではなかった。

燃費が悪かった。13km/l程しかなくこの頃乗っていたトレノGTV(AE86)と出かける時にどちらを選ぶか考える時に燃費でバイクを選ぶことはなかった。排気もまだガソリン匂のたっぷりのこるガソリンエンジンらしいもので後方気筒が熱的に苦しいこともありかなり濃いめになっているようだった。それでも23Lタンクは航続距離に不足はなかった。

バックトルクリミッターというのがついていて後輪のロックを防いでいたがわざと1速にでも落とさないかぎり効くことはなかった。効くとクラッチがすべったような感じになる。

クラッチはブレーキと同じくオイルで駆動するようになっていたがワイヤーのものと違って握っていっても軽くなるということがなくてだんだん重くなるようでツーリングの時に腕がつらかった。

バッテリーが上がって押し掛けをするしかなくなったが重い車体と繋がりのいいクラッチのせいで1回で必ず始動した。ガソリンスタンドから押し掛けで発進するのは少しはずかしかったが。押し掛けは本当にすぐに最大脈拍数に達するすばらしい運動だと思う。ただし有酸素運動になる20分は絶対に続かない。

オイルはAE86と共用で車用のトヨタの合成オイルを入れていたがなんともなかった。

最初のフロント16inch市販車のためかコーナーのクリップポイントでぐらっと内に切れ込んだ。この頃は一番バイクが寝る所では一番アクセルを閉じてタイヤのグリップを遠心力にのみ向けるものだと思っていたので乗り方に問題があったかもしれない。切れ込みはハンドルをクリップオンに替えてから起こらなくなった。このグラがたぶんライダースクラブの言うところの向き変えなのだと思うもう一度乗ってみたいものだ。(この前aprilia1000に試乗したら同じことが起こったやはりポジションによるもののようだ)

クリップオンハンドルとバックステップを何処かで中古で買って取り付けた。

大学の友人も皆バイクに乗っており夏休みに三重、西宮の友人の実家をたよりに鈴鹿、六甲とツーリングをした。三重では鰻、六甲では焼き肉などたらふく食べた。六甲では友人の親戚(その頃で38才位)がGSX750E4にのっておりいろいろ案内をしてくれた。宮城光が刀でテールスライドさせながら上ったという坂などを案内された。まだ通行止めが土日だけに限られていて走り回ることができた。

夜のコーナが得意で友人のGPZ250(ベルトドライブ!)と夜の裏六甲を走ったこともあった。裏六甲は狭いので少し前輪を外側に振るといいようだ。

この頃の大学の友人のバイクは、CB250RS-Z→CB750FB、XL250S→VF750S、GSX750S、GPZ250ベルトドライブ、GSX400L→TR750、VT250F→CB750F、VT250→CB750F-2等で走り回っていた。

自分が乗る前には町中でVF750Fのウイリーをたびたび見ていたので自分も練習したがついにできるようにならなかった。

このバイクは渋滞につかまると直ぐ水温が上昇してファンがまわるが渋滞が解消して100mも走ると水温が下がるという極端なバイクだった。

ある時、学校でギアを入れようとしたらリタンスプリングが飛んだのかギヤチャンジがまったくできなくなった。幸いにも2速だったので発進から100km/hまでカバーできたのでエンジンを冷やすために休憩をしながら家まで戻れた。ホンダSF(我が町にもあった最高の整備工場)に持っていくと保証期間もなにもなくタダで修理をしてくれた。このバイクはCB750と比較するとギヤが硬かったので遊星ギアはまだ未完成だったのかもしれない。

府中にPPというバイク屋がありリッターバイクの試乗をさせてくれていた。 友人のSと2人ででかけXJR1100(前後16inchのタイヤのおばけ)や Z1000RXなどを店の前の道で心行くまで飛ばした。店の人はあまり良い顔をしていなかったようだ。このお店でメットを買った時にもらったキーホルダーをいまだに使用している。

妹がPOP-GALという原付に乗っていた。しばらく放置していたのでエンジンをかけるとすごい異音がするようになった。ギヤにオイルを一杯にまで入れてみたが直らなかった。

タイヤは最初は純正のダンロップを付けていたがだいぶ輸入タイヤも安くなったのでピレリファントム(プラスワンじぐざぐがつながってないやつ)を付けた。付けたとたん最初のコーナからはりついたように同じバンク角をタイアが維持しようとするようになった。結局最後まで一度もこのタイアが外に滑ったことはなかった。

大学の友人で裏道が大好きなものがいて府中から新宿に行くのに20号を使わずいつでも裏道を使うやつがいた。別に近道ではなかったようだが。

180度クランクのV型4気筒は並列4気筒と違って低速ががくがくし交差点で突然ばたと倒れたことがあった。倒れたバイクをぼっと見ていると物好きなにいちゃんがちかずいてきて「私もよくやるんですよ」なんていって起こしてくれた。

サイドスタンドが細い鋳物のようなものでできていてアスファルトがやわらかいところでは良く刺さった。

大学の友人の転倒記録をまとめると、CB250RS-Zが大学構内でこけた。XL250S(パリダカ)は三鷹でこけた。夜下宿で寝ていると 突然彼がやってきて「三鷹でこけた」と言う。一緒にバイクで戻って見るとこけた場所にまだ鍵とかが 散乱していた、一緒に拾った。GPZ250は私のCB50JXで学内でこけた。

秩父の方に細かいカーブで構成される峠道(正丸峠)があって結構な台数が走っていた。ここで地元のFZ750の女の子を追いかけた。彼女は自信があったらしく可哀相なことをした。

結局このバイクは最高速をだしたことはなかった。今よりレーダ取締りは確実に多かったと思う。

会社に入り初任給でクシタニでつなぎを作った。 サイズがないのでつるしと同じデザインながら1.5倍かかった。 この頃はまだ峠族の前だったので地味なデザインになってしまった。 クシタニは「今日はどちらへいらしたんですか」など 店長にマクナル(マクドナルドの関西方面における呼称)のようにマニュアルしゃべりをさせていたが、 彼らはCB750改などを乗り回しているのだからもう少し 自分の言葉でしゃべらせた方が良かった。 どちらへって言われても箱根の帰りに寄るような元気ないよ。 つぶれた羽田店の私と誕生日が一緒の店長どしてるかしら。(大森店でお会いした。大森も閉店して246店へ) この当時はクシタニは春と秋にその年の上着のモデルを作って、常連さんも毎年買い替えていたようだが そんなことは何年も続く筈がなかった。

ウインカーのゴムの中には鉄の芯が入っているのだが外れてブラブラしていた。XL250Sも同じ。

このバイクで九州にツーリングする途中で鈴鹿スカイラインに寄った。 上の写真はその時に仲良くなった地元の子に持っていった子ども用カメラ (サクラのフィルムがプラスチックケースに入っているもの。四角いストロボと共に昔流行った)で撮影してもらった。 料金所のおじさんには「けたせーな」(三重弁で遅いなの意)と言われた。

なかがみ屋の下りコーナで内側に切れこんでキャッツアイを踏んで転倒した。マフラーがボコボコになり、クランクケースも少しオイルを足す所からオイルが漏れるようになった。GSX-R750の下取りでバイク屋に売った。バイク屋さんが自分で乗るのに使うという。



六甲(甲陽園)にて友人達と。 今と同じように水平に膝を出しているのでなかなか擦らない。

白のVF750Sはのちに私の手元へ。右後ろは甲山。




転倒した翌日のVF750F。
右ステップ、ウインカー、前後ブレーキレバー、が無く、タンク、マフラーもへこんでいる。ステッププレートに右足をおきつつ、後ろブレーキの根元を踏んでゆっくり帰還した。
足が大きく紫に腫れた、血液に腫れを直す成分が流れるので微熱が続いたようになり頭がぼっとする。しばらく足を引きづっていた。




奥多摩有料道路、例のコーナ。 着ているのは大学祭のトレーナ、スペルが間違ってるとかってSが怒ってた。


GSX-R750J(GR77C)


今とあんまり服が変わってない

なかがみやを攻める私。



FAだろうと関係なし

なかがみやを攻めるウエスクーリーレプリカ。

全然彼の方が速い。ガードレールで写真を撮る位置を比較すると 彼の写真の方がコーナ手前で写しているにもかかわらずバイクが私より出口を向いているのがわかるだろう。

やはり、ここはGSXRしかないと思い油冷2代目の赤黒GSXRを購入する。('88頃、もう結構昔ですね)注文は5/6(VFでこけたのが5/5だった)で後述のように7/7に廃車となった。

初代の張りぼてのような軽さを気に入っていたので重くなったのは気になったがあえて初代を買う気にはならなかった。

ヘルメットはフレディスペンサーレプリカ(もちろんこの頃は'85)を買った。

1100と違って750はハンドルがトップブリッジの下についていてまだ数cm下げてもカウルにあたらない。さっそく限界まで下げた。

大垂水にこのバイクでは出没した。NSR赤に乗る水道屋(ウルトラマンのハヤタ隊員似)、 CB750FA銀+モリワキショート管のウエスレプリカ、 フルカバード黒CBR750+ブルーのKのジャンプスーツ(現国際A級ライダー)、 TZRに乗る天神、ブルーのFZ400に乗る彼(私と前後して転倒したらしい)といった面々が仲良くしてくれた。 その頃の垂水ではVFR400に群レプリカ(紀元前とかいうチーム。かれはクシタニのつるしのツナギを器具で広げてもらったそうだ)、 初期型NSR青で上りも下りもトタン板の膝擦りまくり(それも横膝だ!)のやつ (「女を連れてくるなんてxx(チーム名)も落ちたな」なんて言われてた)などが常連だった。 (彼らはそれぞれ別のチームに属していてグンは死亡事故があった所をめぐる「地獄巡り」というきもだめしなどをしていた。 チーム名が思い出せない)あとZX10に乗ったおじさんもいた、彼も私と前後して転倒したようだ。私はおせじにも速くなかったがその時すでに最高齢でまあ車(AE86)も持っていたし珍しかったのだろう。(車をなかがみやの前に止めるとそこにたむろることができるしそれだけの年の友人がいるということになる。見に来てたKZ1300の奴がもう若くないですからとか言っていて私の年齢を聞いたとたんに走り出したとかもあった) 天神はオートバイと走るよりは上手い車と走ったほうがいいと言って車の数メートル後ろを走りながら攻めていた。 彼は東京側と神奈川側の両方の救急病院にかつぎこまれたことがあると言う。 水道屋と府中を走っていたらもろ族のバイクが水道屋に挨拶をした、彼は族を卒業して垂水に来たそうだ。彼は歩いているとそこら中の車のミラーを蹴って折るので困った、まあローリング族よりはそちらの方がまともなのかもしれないが。 水道屋はNSR250のキャブをばらして前後気筒の番手が違うのを見て同じ番手にしたところ高速で最高速で走行中に焼き付いた。タイヤがロックしたがかれはなんとか転倒はまぬがれたらしい。彼はXJ400に乗っていた頃はなかがみやの下りでは速度警告燈が点くのを見てブレーキングしていたと言う。 彼の口ぐせは「走ろうよ」で、駐車場に戻って5分もすると走ろうと言う。 この頃は750で峠に行くと「ご苦労様」などとイヤミを言われるような頃だったが彼らは750で攻めていた。彼らと休みの日に垂水に居て雨が降ると雨宿りをして雨があがると車のタイヤ跡を選んで走行したり湘南まで走ったり(ついていくのがやっと)となかなか楽しかった。この付き合いは7/7にこけたあともしばらく続いた。結構メンバーの交代は激しく数カ月しかもたない連中がほとんどのようだ。南南西の風は写真を撮るのが上手い奴の友だちなだけだとか言われてた。ここは津久井署の管内で彼らがパトカーで来るのだが「自分だけはコケないと思ってるんだろう」とか偏見?のある方達だった。

なぜかわざわざなかがみ屋コーナに夜間のオレンジ照明がつけられて夜の走行を盛り上げた。

細いなかがみや前のコーナにもラインというのは存在していて私のラインは危ないといわれてライン取りを教えてもらった。

既になかがみやコーナはかまぼこラインが引かれていてステアリングダンパーが必需品だったがGSX-Rには不要だった。

スクータのカバーを外してフレームだけにした連中がこの頃は下りでよく走っていた。50cc は転倒した時に大事故に なるのと高校生が多いこともあってすぐに通行止めになった。

NSR250の水道屋と河口湖インターから帰る時に競争になり、府中インターを過ぎたあたりでタコメータで1万回転位回った。フルパワーの逆輸入車ならまだここから回るのだろう。 さすがに中央高速でも幅が狭く感じて2車線の真ん中しか走れなかった。(ここらへんが変ですよね)

フロントの剛性の高いサスとラジアルタイア効きの良いディスクブレーキのせいで前輪をロック寸前で管理することができチャタリングをおこすような感覚まであった。

このマシンになると高速道路のコーナを攻める位が丁度よく中央高速の相模湖、東名の箱根あたりまで行った。

いつものように第三京浜を走っていると港北インターのコーナのあたりでパトカーとGSXR数台が路肩に停車していて皮ツナギを着たおやじ数人が泣いていた。そういうことも起こるだろう。

1500kmまでじっくり慣らしをしたが3800kmで廃車になった。まだローンを一度も払っていなかった。

いつも通りに走っているつもりだったがその前後のことを良く覚えていないところを見ると疲れていたのだろうか。 7/7、暗くなった頃なかがみ屋コーナ上りでフルバンクした所リアが流れた、 カウンターを当てたがそのままの状態でキャッツアイをバイクと私の膝が越えた。 4Lの油冷エンジンのオイルをあたりにぶちまけた、 私は足をひきづって後続のバイクをよけた(這ってが正しいらしい)が 後続のバイク(MVX250F)はオイルの上をなにごともなく通り抜けた。 皆が出て、油の処理中にグンレプリカに「走れなくなってスマンネ」と言ったら彼は笑っていた。 私はつなぎのせいで足が紫に腫れただけですんだがバイクはクランクが曲がっていて廃車となった。 垂水からレッカーで帰るのにえらい金がかかった。 転けたのはタイヤが最初からついているミシュランラジアルのままだったせいだろうか。(この頃、γに純正採用されたミシュランはまったく擦り減らないと言われていた) この時に皮ツナギの上に着ていた赤いジャケットは2カ月前にVF750Fで転けた時にも着ていた、 これ以来あまりバイクの時は着ないようにした。この時、カメラを持っていたのだが、この前RKでコケタ時にも カメラを持っていた。カメラとの相性も良くないようだ。


SR500(バイク屋の代車)




函館に程近い場所にて。


7/7にGSXRを失ってしまったが会社の夏休みが来てまだGSXRは修理に出してあったので バイク屋さんに店先に中古車として並んでいたSR500を借りて北海道ツーリングに行くことになった。

スポークホイールやドラムブレーキのモデルも出ているが 私がかりたのは普通のアルミにディスクブレーキのモデルだった。

加速していく時にアクセルを先に空けぎみにして濃いめのガスをおくってやるとノーマルマフラーでも非常にいい音がした。(バルブには良くないようだ)

普通バイクが振動するというとそれぞれの部品がかってな方向に振動するが、SRはバイク全体が同じ方向に振動する。

500ccでも気持ち良く走れるのは60km位の所で750cc位の排気量があると町乗りにいいようだ。

キック始動だがケッチンをくらわないためには毎回かならず最後まで踏み抜くこと。

北海道に行く途中の東北自動車道であるインターを過ぎた後の上りで突然パワーがなくなって停止してしまった。 ガソリンを入れたばかりなのにもうないようだ。路肩に停止してキックしてみても始動しないのでインターが 近いことだしそこから一旦出ようと思って路肩を逆走したところ運悪くパトカーがやってきてJAFを呼べという。 路肩の電話でJAFを呼ぶとJAFが来たがガソリンを入れてもらってキックをしてみるがやはりかからない。 JAFの人はしょうがないから歩いてインターから出ろという、JAFにお金を払って結局路肩を逆走してインターから押して出た。 まだ深夜だったのでインターを出たところの草むらで朝まで寝た。近所の人にバイク屋のありかを聞いてバイク屋まで押していった。 バイク屋にはRC誌が創刊号からかざられていた。 バイク屋では原付に乗った若いお客さんが来ていてお店の人がバイクをいじるたびに彼がキックをしてくれたがかからない、 昼過ぎまでああでもないこうでもないといじっていたが、 最初のガソリンが直ぐなくなったことなどを考えてキャブの油面が高そうなのでそれを指摘してみると店の人は困った顔をしていたが 油面を調整したところかかってしまった。バイク屋さんのばつの悪そうな顔が印象的だった。修理代は払った。

燃費と燃料タンクの容量からくる走行距離と走行時間は北海道の長い夜には足りずいく晩も 農協のガソリンスタンドの前で朝を待つことになった。

夏休みでも北海道の夜は寒く足寄駅で一泊した時は夜中歩いていた。 自動販売機の前は下から熱気が出てくるのであたたかい。 駅では甲南大学自転車部やレゲエのおじさんとシュラフを並べて一緒に寝た。

オフロードを走っていたらチェーンに石が噛んだようでチェーンが外れた。 近くのプリンスホテルの駐車場で修理していたら、自分が考えればいいので若い者しか雇わんと堤さんが 豪語するプリンスホテルらしく従業員さん は皆バイクに理解があるらしくあたたかい視線を送って来る。 観光バスの運転手さんには「チェーンのコマがはずれたの?」と言われて「今時、コマなんてないですよ」 と答えて運転手さんに「そうか俺がしってるのは昔だからな」と言われたが、 良く見るとSRのチェーンには立派なコマがあった。

内地からバイクで来る連中を現地の人は蜜蜂族と呼んでいた。

札幌から函館に戻る途中、深夜の国道で大渋滞になった、道路が完全に閉鎖されているようだ。バイクがどんどん集まってきてすごいことになってきた。皆北海道ツーリングを終えて戻る途中なのでかなり興奮している。閉鎖が解除されてみると道路に燃えかすのタールのようなものがこびりついているタンクローリが火事を起こして道路をふさいだようだ。


VF750S(年式不明最初のVF750S)

大学時代の友人が就職した後のらなくなったVF750S(白青!)をくれた。VFは彼の寮の駐車場に置かれていた。綺麗好きの彼のバイクらしく程度は良かった。

高速で曲がりながらわだちを越えたりすると車体がかなり振られる。剛性が不足しているとは思えないので前輪のおさえが効かないポジションによるものだろうか。

光チェーンロックなんかをサイドカバーに内蔵していたと思うけど一度も使わなかった。

車検が来たのでバイク屋にタダであげたところ近くの東電のにいちゃん達が駐車場で限定解除の練習をするともらっていったらしい。


GSX1100S(SD)




北海道の羅臼のキャンプ場から出発するところ。

BMWのパニアケースを括り付けている。 ナンバー下のお寺のシールはもらう前からのもの結局最後までそのままだった。 ゴールデンウィークの羅臼のキャンプ場は都会の公園の砂場より混んでいて旅情とは無縁だった。

会社の職場の先輩が乗らなくなったと言って50万円でゆずってもらった。 ブルーのラインの入ったモデルだった。キャブの調子が悪くまったく吹けない状態だった。 この頃は逆輸入車は手の届かないものでいい買物だった。

モトライダー誌にはいつも新車のインプレッションがあり性能を実測していたが 刀は同時代のリッターバイクを全ての面で大きく凌駕していた。

キャブはフロート下の螺子の螺子山がまったくねじ切れて手でまわる程でガソリンが漏れていた。 バイク屋さんが器用な人で金属粘土を詰めて螺子山を再生してくれた。

出先でロービームが切れたことがあったがシビエの100Wハイビームのままどの車の後ろにもつかず帰ってこれる程そのきになれば速かった。

このバイクは過渡期でウインカーがプッシュキャンセルになっておらずそれが面倒だった。

チョークにはリッパなノブがついていたが、もっと良く使う燃料コックは原付用みたいで手がいたくなった。

つなぎをきると膝がエンジンに当たって膝グリップができた。

ギヤを一速に入れるだけでかなりの音がする。ツーリング中にバスの停留所の近くで一速に入れたらバス待ちの主婦が飛び上がった。

ゆずってもらった時点でチェーンは伸び切っていて調整をしてもだめだった。新品に交換したところギアのタッチやアクセルワークまで改善した。

シートとハンドルの距離が遠くハンドルの高さは400のレプリカなどに比較すると高いのだが身長180cmの私でも腕で上半身をささえる形になるので長距離はつらい。右手だけハンドルに伸ばした場合でも上体がかがむので腹筋が必要になる。左ひじをタンクにつくようにすると楽になる。

ノーマルのマフラーでも排気音は大きく、加速するとコスワースDFVの8気筒F1エンジンのような音につつまれる。とにかくエンジンを吹かしているだけでどこまでも疲れずに行けるマシンだった。(違反切符はもらうかも)

6速でも100km/hで6000rpm位回ってしまいはたして最高速とレッドゾーンの関係がどうなっているのか皆目わからなかった。車体の限界が先にくるので確かめることはできなかった。(直線でもちょっとという感じ)RKでの経験からするとリヤのダンパーをリプレイスして絞め上げればいいのかもしれない。

何回か30M道路の0-400にいったが1100は速く、レプリカバイクや車を片手運転で抜けた。FZ400でウイリーだけみせに来てたやつがいた。

つじつかさ氏の雑誌での刀のインプレッション「300kgを越える物体は所詮人間には制御できるものではない」 というせりふが記憶に残っている。(写真ではフルバンクで箱根の高速コーナを抜けていたが)

春の交通安全週間の時に平和島を走っていると突然交差点で婦警さんが私の行く手を塞いだ。 (轢きそうだったヨ)捕まったかとあせったが路肩の空き地に呼ばれてそこで白バイとスラロームや一本橋をやらされた。刀は当然スラロームはできないので綺麗に2つめと3つめのパイロンを左右に倒したところ婦警さんに大変感心された。貼る気のおきないステッカーをくれた。

ブレーキの効きがいまいちなのでステンメッシュのホースに替えた所タッチがかなり改善した。この時にバイク屋さんのセンスでANDF(アンチノーズダイブ!)は無効にされてしまった。

合成皮革みたいなシートはいくら洗ってもきれいにならなかった。ワックス(車の)も使ってみたがだめだった。

このバイクでも何回か北海道に行った。ある時は北海道の北、東、南の全ての岬の碑の上で寝た。 この頃は北海道に居れば幸せだった。

千歳の近くの公園で寝ていると3機の戦闘機が1機ずつ滑り台の順番を待つように急降下をしては列の後ろにつく訓練を繰り返していた。こんなことを身近でやられては北海道の人も大変だ。

道央を夜走っていると対向車とのヘッドライトの中に何かが隠れているようだ。だんだんちかづくと山のようなそれがごろりと動き出した。牛がセンターラインの所で休憩していたようだ。軽快な足取りで柵を越えて帰っていった。

19inchの前輪はコーナで後輪と関係なく大回りするような感覚だった。

これでもライダースクラブの走行会に行ったが半日でオイルが点検窓から見えなくなった。ひねりもしないのに高い回転を保っても無駄と根元氏が皆にアドバイスしたのでギアを1段上げて乗ったところオイル消費も減って速く走れた。ブレーキはどんどん甘くなるのでかなり手前から減速する必要がある。




練馬の方のバイク屋さんの主催の走行会で那須のヘヤピンを試乗車のGSXR400Rで走るところ。ジルレプリカのヘルメット。この頃はかなり殺伐とした風景。

タイヤが数千キロで減るくせにタイヤの種類が少なく(TT300かな)在庫もないので注文待ちをしている時に白バイに捕まった。注文中だと説明したが整備不良を切られた。

油冷エンジンを使った刀がいろいろ出ているがオリジナル刀で一番魅力的なのがこのばかでかい空冷エンジンでありこのエンジンをアルミフレームに換装しておもいっきり走らせてやるほうが大事ではないだろうか。 (つまり、ビモータのSB3がこれにあたるらしい。また物欲が...)

2000/1/10:数年間乗らないまま放置していたが今日バイク回収屋さんにタダでもらわれていった。回収屋さんは300kgを越すGSX1100Sを軽々と取り回ししてトラックの荷台に載せていった。後日ちゃんと廃車証?を届けにきてくれた。 もうバイクには縁が無くなったと思い、数十冊のライダースクラブ誌を廃棄した。



那須ライパ、例の左コーナ。スペンサーレプリカのメットが似合わない。 (もう、スペンサー本人も似合わないのでしかたないか)

BMWR60




不動車になってバイク屋の軽トラで御帰還。

バイク屋のおやじの勧めでなんとなくR60を買うことになった。ライト回りのハーフカウルがついたモデルで色はゴールド。

ハーフカウルはすぐに外した。

600ccの2気筒エンジンは低回転では単気筒のようにドコドコ感があり回転が上がるにしたがって振動が増えるが6000rpmを越えたあたりから振動が収まってなめらかに最高回転までまわり最高速で巡行してもまったく疲れなかった。

最高速は程々だったが気持ち良く走れR100などにのっている人が挨拶してくれた。横浜新道の休憩場などで止まっていると他のBMWが話かけてきて壊れやすい部品(パンクしやすい部品)などに話が咲いた。

セルは飛び込み式で独特の音がする。

クラッチは乾式で小さいクラッチレバーを引くと気持ち良く切れる。 ギアチェンジの遊びは大きく、乾式クラッチと相まってギアチェンジはゆっくりとするしかない。 国産車だと吸い込まれるようにギアが入るがBMWは全然違う。(シンンクロメッシュとかバイクにもあるの?) ブレーキレバーも同じく小さく効きはしれていたが操作はしやすかった。

ブレーキはシングルディスクでタッチはしっかりしているのだがテッパンを両手でおさえているようでいくら力をかけても効きはたいしたことなかった。

ハンドルグリップは内側が径が小さくなっていて自然に外側を握るようになっている。(タイコタイプに近い)

マフラーは非常に薄い金属でできていて錆びを作ると簡単に穴があくようだ。また国産車のように2重になっていないので簡単に綺麗な色に焼くことができる。

伝統のボクサー水平対抗エンジンは左側が前にでていてステップもそれに合わせて左右が違う位置についている。ボクサーはクランクピンを共用しないので左右のシリンダーが結構はなれている。

府中で下宿の前に置いておいたらエンジンがかからなくなり近所のバイク屋に預けたが数カ月たっても直らず軽トラを貸すので持って帰って欲しいといわれた。買ったバイク屋に持っていくと配線がすっかり替えられているという、BMWは国産車と違ってコネクタが全部同じなので配線の戻し方がわからなくなったらしい。

手入れが悪かったのかすっかりエンジンから粉を吹いてバイク屋にもらわれていった。


GOOSE350(年式不明出て直ぐ)




箱根で行われた、福田モータースのTESI-1D試乗会にて、右端に 私の GOOSE が見える。 左端の RK は今 TESI にまたがろうとしているおじさんのバイクだと思う。 わずか10年前なのに綺麗なCB400RRやタイラレプリカのおじさんなど 時代を感じさせる。 福田モータースはこの一度の関係だけでいまだに年賀状を送ってくれる。

バイクはとにかくポジションということでレーサーレプリカのポジションでホイールのインチ幅もべたべたのハイグリップタイヤがつかえるということで新車で購入した。

ヘルメットは倒産直前のショウエイの白を買ってジルビルニューブレプリカに塗装してもらった。ラバッツのシール等がないのでちょっと間が抜けていた。ライパでネモケンさんにサインをしてもらった。

バイク屋さんがプロダクションレーサにつけるというタイヤをくれたのでつけてみた。タイヤがかすを拾ってだんだん太くなるというおもしろいタイヤだった。

いかんせんパワーがないのでフルバンクのシチュエーションがつくりずらい。上手い人ならいくらでも突っ込みで速度を付けられるのだろうがエンジンだよりの人間にはつらいマシンだった。750を下りのコーナでぶち抜くというようなことは一度もなかった。

RIDERS CLUBの走行会やクシタニの走行会で那須サーキットを走った。このマシンで練習するとバイク屋主催の走行会で貸してくれたGSXR400などでおもしろいように走れた。

免許試験場で休みの日にやっているジムカーナみたいな会にも行った。安全指導員などシロバイのライディングが理想という変わった人種の人達がいた。この経緯をミスターバイクに投稿したところマンガに採用された。あんな狭いコースにもライン取りがありだんだん速くなるのがおもしろかった。世田谷のシロバイ練習場にもタイヤの横をそこだけで減らしてしまうというマニアがいるらしい。

オフロードバイクDR譲りの単気筒エンジンはきれいに最高回転までまわり程々でそのままいくらでも走れた。SR500と比較するとこちらの方がコーナ向きだった。ただ、何故、単気筒なのかというのはあるだろう。VT250のエンジンなどは生産コストはこのエンジンと変わらないだろうし重量も走りをスポイルすることはないだろう。単気筒の味という意味ではマフラーを交換しないとあまり感じることはできないと思う。

ポジション的にはレプリカと同じはずなのだが乗った感じがどうしても違う。カウルやエンジンのマスが違うせいだろうか。

結局このバイクは一度も転倒することなく会社の後輩に売った。

売った後もレース仕様などで私よりも速く走る姿を見かけると乗りたくなる。


RZ250R

会社の友人から10万円で売ってもらう。色は黒。


FROM READERS

ライディングパーティ2001

那須のライディングパーティ関係者の皆さんおつかれさまでした。前回の筑波の時は調子がでないうちに終ってしまいましたが今回は時間があったせいか満足するところまで走れました。緑ゼッケンの渋滞のおかげで編集の方のドカの後ろを数周走る事ができたりとなかなか楽しく過ごせました。伊東さんのならしの話をきいてから1月号の記事など読み返しています。(私と同じ年齢身長で10kgも体重が少ないとは!) (2001年7月号掲載)

こんなところにR/C

こんにちは、R/Cのみなさん。先日、土曜日にいつものように愛車GSX-R750RKのお散歩に箱根に行った帰りに用賀から環8におりると京都セラの先でいつものように渋滞につかまりました。バイクを止めてふと路肩をみると派手なバイクが駐車しています、あらまたバイク屋ができたのかと見ているとビルの中から見慣れた黄色いアロハを着た伊東さんが出て来ました。ヘルメットを下げてあいさつすると「オヨッ」という感じであいさつしていただきました。土曜も働いてるっていうのは本当なんですね。那須ライパの写真届きました、さすが本誌カメラマンさんだけあって記事中の写真と構図、バイクの角度、撮影場所!までピタリと同じです。 (2001年9月号掲載)

行ってきました「 もて耐」

R/C誌のみなさんこんにちは。 話題のもて耐にいってまいりました。鈴鹿8耐決勝でもライパと見分けがつかない私は迷わずいろいろなバイクが見れる土曜日のもて2耐に照準を合わせて観戦しました。もて2耐はその期待を裏切らず昔私が乗っていたのとカラーリングまで同じVF750FやGSX-1100Sなどが元気に走り回っていました。もてぎのコース幅が広く直線も長い国際規格のコースはかなり性能差のあるマシンの混走でも追い抜きがストレスなくできてみなさんレースを楽しまれているようでした。 apriliaで参加(もちろんもて7耐)されている営業の中島さんにはカメラケース代わりに使っていたライパのミシュランTシャツを見て声をかける為のためまで作っていただいた?ようですが休みの日に声をお掛けしてよいものかと迷っているうちにタイミングを逃してしまいました。ピットでお見かけした時はapriliaのマシンを見つめて難しい顔をされていましたが翌日の決勝では無事に完走されたでしょうか。 (2001年11月号掲載)

GSXR1100ツーリング

 R/C誌のみなさんこんにちは。先日、インターネットで知り合ったGSXR1100オーナによるGSXR1100ツーリングに参加してきました。集合場所の福島県アルツスキー場のホテル駐車場に集合したGSXR1100は30台以上、ほとんどのGSXRがマフラー、キャブをリプレイスしていて既に10年以上を経過した車両が多いにもかかわらずどの車両も同一年式のように手入れが行き届いていました。その後レークラインを走行して二本松のペンションに移動して夜遅くまでGSXR談義に花を咲かせました。翌日は東北自動車道で帰京したのですが途中1台がガス欠で路肩に停車すると後続の数台が安全を確認して路肩に停車するとタンクバッグからソケットレンチをとり出し手馴れた手順で自分のGSXRのガソリンタンクを外すとそこからガス欠した車両に燃料を補給して直ぐに走行可能にしてしまいました。参加したメンバー全員のGSXRに対する愛情が感じられたすばらしいツーリングでした。 (2002年1月号掲載)

10年前のライパの風景

 R/Cのみなさんこんにちは。私の記憶にあるライパの風景をすこし。だんだんとスタッフの緊張が高まるのがひしひしと伝わってくる。始めて参加する人間はそれだけで場違いな所に来てしまったことを後悔しているようだ。定時を少し過ぎた頃にトランポからウルトラマンつなぎを着たネモケンさんが降りて来る。昨夜良く眠れかなったのかかなり不機嫌そうだ。さっそくスタッフになにか注意をしている。見ているこちらの方がなにかすまない気になってくる。マイクがネモケンさんに渡され「オッス!」いや8時だよ全員集合ではないのデスガ...ここからは今と変わらない(BMWでなくゼファーでしたが) 和気合い合いとしたライパでした。 (2002年1月号掲載)


aprilia RS250('00)




那須ライパにて。(プロカメラマン氏撮影)。

コークバリントンばりのめがねっ娘走り。 左右のかかとはスイングアームをグリップしているのでリヤの動きを直接かかとで知ることができる!? 那須は2004年末に閉鎖されたそうだ。 私はクシタニでエクスプローラクラブができて今度那須にサーキットもできるんですよ という時に入会(だけ)しました。関係者のみなさんおつかれさまでした。

最後のバイクを手放して数年が経過した。(走らないGSX1100Sはあったが)またなにか買いたくなった。もう一度400に乗ってみるのもいいか(やはりバイクのバンク角と旋回の関係は車重の影響をもろにうけるので400クラスの優位はあきらかだし、CBXに乗っていた時より上手くなっているハズ)と思ってなじみのバイク屋に行くと今国産車は悲惨な状況であるという。パワーの制限をうけてまったくおもしろくないらしい。

バイク屋さんによると国産の2ストはもうなくなり、ガンマの逆輸入なら何台かありそうだとのこと探してもらうことにする。ガンマがないということでアプリリアに決まった。

ヘルメットを買いに行った。なにやら4万円台でアライのRX-7がおいてあったので迷わずこれにした。お店の人がパールカラーの特別色が同じ値段であるからそれにしたらと言ったがオリジナルの白にした。白のRX-7といえばプロダクションレースとかをする連中の定番だし、このそっけない帽体と白がとてもいい。買った後でマニュアルを見ると、昔のままの空気穴の少ないタイプもあるようだ。こちらは昔通り7万位するのだろうか。

メータはデジタルのスピード、アナログのタコで14000rpmまで目盛りがある。

99モデルから00になるときにかなりデザインが変わったようだ。たしかに00のカウルの形はGPマシンのレプリカなのだが99モデルの方がアナログメータといいカウルといい良さそうだ。(99でなく97位で変わったらしい)

燃料はレギュラーでいいそうだ。

ブレーキはブレンボでたしかに良く効くがNSRのように何km/hでも即ロックさせられそうなあぶなさはない。鋳鉄らしくさびるそうだ。

色は赤黒だが赤はオレンジで古いビックバイクに合いそうな赤。原田哲也のレプリカらしく、カウルにTETUYAの文字と日本とイタリアの国旗がかかれている。原田はWGP500であまり調子が良くないようだ。

さすがにガンマのエンジンだけあって東京の朝の渋滞でもNS250Rのように冷却液を漏らすようなこともない。が水温が91度あたりを越えると低速がなくなってくる。

ならしは、800kmまで6000rpm1600kmまで9000rpmの指定で6000rpmだと105km/hしかでず、最近の一般道でもこの速度では交通をリードできずこわい。

'88 NSR250に比較するとこのガンマのエンジンはパワーバンドがいくぶん狭いようだ。

オイルの消費は少ないようだが交差点で自分の排気で頭がくらくらすることがある。

夜の15号線の地下トンネルのコーナで2人乗りのTL1000Sに千切られた。

オイルの警告灯は800kmで灯いた。ならしでこの距離なので実際はもう少し短いだろう。燃費は250kmで予備タンクになり14l程の給油を必要とする。(今は160kmですトホホ)

レッドゾーン表示はなく。赤いランプが点滅してしらせる。この回転数は可変で、ボタンで変更することができる。(マツダRX-7もこうなっているらしいオーバレブに強いのだろう)

ポジションは確かに前傾だがハンドルが近く刀ほどきつくない。私だと両手の手首が膝に触れる位のポジションだ。

タイヤのお化けのようなバイクでバイクの進む方向を道のある範囲にもって行ければこけることはなさそうだ。GOOUSEと同じタイヤサイズだしGOOUSEにはプロダクションレース用のタイヤをつけていたがアプリリアの方がねっとりとする感触だ。(これは最初の頃の感想で今はタイヤが細く感じている)

レーシングオンの記事を見て筑波の走行会に申し込むためにTELをしたら、筑波の持ちタイムを聞かれた。初心者はだめらしい。

RIDERS CLUBの那須の走行会に申し込んだ。開催日を土曜と日曜を間違えて行けなかった。土曜日は第三京浜でブレーキングの練習などをしていた。随分高い通行料になったものだ。

神戸往復して総走行距離は2000kmを越えた。このエンジンは9000rpm前後になると振動もおさまり手がつかれない。帰りにどしゃ降りの中央高速も走行したが軽量な車体はバンク角が浅いためかまったくコーナで不安がなく雨でもアベレージが落ちない。(ブレーキには気をつける必要がある)

リザーブに切り替えたのを忘れて走り続けてあやうくガス欠になる所だった。18.2Lも給油をした。

RIDERS CLUBの走行会で筑波を走った。バイクの性能は高いが私の方の限界ですべてのコーナでアウトインインになってしまう。自分と同じペースのバイクを見つけて相手の速いコーナーで後ろについてラインを盗めば良かったが今回はそこまで考えが回る前に15分*3回の走行時間(1回目は先導付き)が終わってしまった。ドカのSPSやRC45、RC51、MVまで高価なバイクが目白押しだった。この日唯一転けたのはW650の根元さんだった。なんの前触れもなく突然とのこと、バイクはそういうもんですね。春の交通安全週間で帰りの首都高速の一車線規制の所でつかまってしまった、2点7000円。

10年以上前にオーダしたつなぎはかなりきつく。しばらく着たままで部屋を歩くなどして伸ばした。

筑波で知り合いになったおにいさんのバンデットの750に乗せてもらう。最近のネイキッドはFBの頃と違って達磨のような感じで少し体をかたむけるだけでおもしろいように曲がっていく。これと比較するとRS250の曲がり方が古典的なものに思えてしまう。

RC誌で少しRS250のページがあった。結構部品もあってチャンバーなどがあるようだ。

中原街道にアプリリアを扱うバイク屋があり見に行く。'97?モデルはメータがアナログでカウルも細くこちらの方がレーサー度は高く思える。

しばらく乗っていなかったらバッテリーが上がってしまった。こいつのバッテリーはメンテフリータイプでなく液を入れるタイプだ。はずして液面を確認すると1cm位低くなっている液を足して、押し掛けでかけて一日乗り回したが全然回復しない。車も売ったことだし乗る機会を増やそうと思う。

バッテリーがあがっているとトリップの走行距離が毎回ゼロになってしまうし、回転計はふらふらと勝手にレッドゾーンを指し続ける。

いくら走行してもバッテリーが復活しない。しょうがないのではずして充電器で1日充電し復活させた。

環八にアプリリアの輸入代理店をしているボスコモトの店ができた。元イタリア雑貨の店だった建物だ。アンケートに答えたらTシャツをくれた。(洗濯したら色落ちした。単独で洗うべし)この店には2ストは50ccしかなくてこれからは大排気量V2で勝負するようだ。しかしすべてのメータのデザインがRS250と同じでしかもかっこわるいのはなんとかしたほうがいいと思う。

久しぶりに箱根に走りに行った。行きの東名ではかなりの速度を楽しめる。(最近楽しめない。空気の濃さが関係あるのかな?)バイクは視界が良いしブレーキも私のかえる車よりもはるかに効き加速も良いので少しの空きで楽しめる。御殿場への上りの所ではパワーの低下を感じるここいらへんが250ccということだろうか。芦ノ湖スカイラインではラリーアートのイベントをやっていて飛ばしている車がいたので少し怖かった。

バイク屋に2ストオイルをいれにいくとTT600Rというヤマハのオフローダが置いてあった私でも両足がやっと付く位で欲しくなったが2台バイクを持ったときにろくなことがないのでがまんがまん。

RIDERS CLUBの那須の走行会に申し込んだ。朝5:00に出発したが那須は200kmも遠くにあって集合時間の8:00にやっと着いた。とちゅう前まであった最後のガソリンスタンドが無くなっていて給油をせずに着いてしまい途中でテーピングを剥がして給油に行った。筑波の時と同じくずっと調子が出なかったがさすがに那須は10:00〜16:00位の走行時間があるのでだんだんこつを思い出した。コーナで曲がりが弱くてアクセルを開けられなかったが腰を後ろに預けて頭を極端に低くすると旋回力が増しアクセルを開けていける。それに加えて40km/h台に速度が低下するポイントが何個所かあるのでそこで1速を使って見たかったがその時はそこまで考えがまわらなかった。今回の走行会で一番気分良さそうに走っていたのはCBR250のおにいちゃんでやはり高価なバイクをおそるおそる走らせるよりは転けてもいい位の気持ちで走れる方がよさそうだ。(RC誌の趣旨には反するかも)今回の高価なバイクはNR750、SP1、などだった。以前よりドカが減ったように思う。(NINJAも)RC誌は以前は根元さんの記事以外のインプレッションは読む気がしなかったがだんだんそれぞれの編集員さんの好きな分野を紙面で展開することによってか上手く世代交代ができたようだ。

鋳鉄ディスクで錆びるというが錆びというよりしみのようなものがディスクの内側のパットにあたらない部分にできてしまっている。

ハンドルの位置を下げようとしてハンドルをトップブリッジに固定しているボルトを外そうとしたが最初ショボイ車載工具で作業をしようとしたためかどをなめてしまい外せなくなった。しばらくハンドルを下げるのはおあずけになった。空気圧が1.0kg程度に低下していた。

また、那須のライパ走行会に行った。今回はだいぶ暖かくなってきたので参加者も若い人が多くかなり転倒者が出た。R1はどうもコーナ出口でハイサイドしやすいようだ。今回は試乗車としてドカの996と750SSがあり乗ったところ自分のapriliaより確実に速く走れた。どうも前輪の動きが違うようだ。apriliaは軽量すぎて手に力が入っているのだろうか。

週末に箱根に行った。今回はブレーキとギヤに注意するためにリーンウイズのみで行こうと思っていたが現地ではやはりハングオンしてしまう。1号線の三島からの上りは2車線化が完成していて日曜でも走ることが可能になった。バンクのあるコーナもあり非常におもしろいが、apriliaでも2,3速!のコーナ(直線では4速も)なのでリスクは大きいだろう。996が1台いて排気音がこだましていた。(当然ノーマルではないなあれは)上りでたまたま刀改(イエローコーンの油冷かな?)の100m位後ろを走ったが上まで差は詰まらなかった。(なんだかな〜)RC誌の言う抜重による向き変えの練習をするが良く判らない、スキーはできるので体重を抜いてエッジの切り替えをすることは理解できるのだがバイクでは低速では確かにできるようなきがするが速度があがるとバイクも粘るのでとてもできない。スキーは速度が出ても抜重できるがタイヤがないからな。公道では、道路に沿って走るために那須のようにコーナのクリップをとって皆がおもいおもいにRをえがくような練習はできない。でも、とにかくそれ以前に今の私はバイクに跨っている時間が短いのでそれを伸ばしていき感覚を維持することの方が重要そうだ。頂上のラーメン屋さんのネギラーメンは上手い是非どうぞ。ツナギのままで大丈夫。

13Tのスポロケをバイク屋さんに注文した。立ち上がり重視といってもギヤがある程度ロー側でクロスレシオになるだけであまりかわりはないだろうが試しにやってみる。部品はきたのだがRKを買ってしまったのでとりあえず部品だけを受け取った。(ガンマ用のスプロケには2種類あるみたいなのでよく確認した方が良いです)

2001年9月5日に那須で行われたクシタニの走行会に参加した。apriliaで申し込みしたために何故かNSR250やRS80(オイオイレーサーだ)のクラスになっていてこのクラスが優先のようで25分*6本も走れたのだけど47秒台で走る連中の中で55秒位で走るのは疲れた。ベストラップは52秒738だった、このタイムを流し満貫のようにポンポンとならべられればかなりのものだがほとんど55秒位だった。ライパの6周はいかにも短いが25分は私には長すぎる(那須にはユノディエールのようにお休みのできる直線がないのでよけい疲れる)。私位のレベルではブレーキをにぎったままフルバンクしても問題ないことがわかった、ブレーキをにぎったまま曲がるとフロントの加重が高いのでフロントが巻き込むように曲がる。また立ち上がりで十分に腰が入っているといくらアクセルを開けても曲がっていくような感じも数回確かめることができた。でもそういうことがおきるようになるにはまだバンクが足りないことがわかったもう一段倒し込む必要がある。同じバンク角(バイク+自分で考えた重心のバンク角)ならばバイク自体が寝ている方が旋回力が強いのであまりハングオンせずにバイクを寝かせることに専念したほうが良さそうだ。また、ハイオクガソリンの効果も確かめられた直線でレギュラーでは3速で余裕なのにハイオクでは3速を完全にふけきってしまう。

apriliaはまたがると豹かなにかにまたがったようにサスが沈む。RKはデンという感じ。

スプロケを13Tにした。12000rpmで200km/hとなったがそれに到達するにも少し時間がかかるので走行会向けにはこれでいいだろう。結局、那須でのタイムは落ちた、2 速の上限が下がったせいだろう。

バッテリーを交換した。ホンダの原付と同じものでメンテフリータイプのもの。




2004年冬。数ヵ月乗っていなかったらまたバッテリーがアガッてエンジンがかからなくなった。 バッテリーを交換しガソリンが空だったのでガソリンを補給してエンジンはかかる ようになったものの原付のようにパワーがでない。数日すると車体の下にガソリン の染みができていた。




時計などがついていて常にバッテリーを消費するので普段はバッテリーのマイナス 端子をはずしておくことにした。




下側のキャブのオーバフローパイプからガソリンが洩れている ようなのでとりあえずばらして掃除して組んでみた 。




調子の悪いまま、保土ヶ谷パーキングで行われた aprilia ミーティング となりのバイクはRSV100R FACTORY。(トランボで来てた。この人が大垂水のクシタニ君だったのだ) 結局この時、私は1気筒で参加していたようだ。他の方の撮影されたミーティングの写真




翌日はまたお漏らししている。泡タイプのキャブクリーナが良い と aprilia デーラの方が保土ヶ谷で教えてくれたので買ってきた。 (キャブクリーナはミクニのキャブでは専用のものを使わないとゴムが延びてしまうそうです)




泡につかるメインジェット。かなり小さい穴もあいているので 泡の効果があるかもしれない。V2 は前後でメインジェットの番手が 違うことがあるので組み付けを間違えないようにする。




コックを OFF にしてもガソリンが流れ続けるので横にしておく。




結局、後方気筒のキャブのフロートにつながるバルブが固着していた。 浮力でうごかなきゃいけないのにマイナスドライバーでかなり力を 入れないと動かなかった。




今度は大丈夫かなと2004年12月の保土ヶ谷パーキング。 ガソリンが無い状態でキャブを1年近く放っておいたのがいけないかったと 思うが、バイク屋さんによるとガソリンは無い方が良いというマリン用の 船外機、ホンダの発電機などは全て遊んだ後はキャブからガソリンを抜くからと言う、 どうだろうか。 隣のRSはシートカウルから食品を出してたべだした、 食品入りのシートカウルを見たのは10年ぶりだ。




2005/2/9 千葉の茂原ツインサーキットの走行会に参加した。 ここを選んだのは、左回りだからである、キングケニーロバーツ(シニア)が 90度の組合せでしかコーナーリングできないように私は左回りの組合せ でしか曲がれないのだ。 大田区を4時出でゆりかもめを通り6時半についてしまった。 前日の雨によって路面は完全ウエットで開始され 誰も走行しないので最初は私一台で3周のパレードラップを行った。 本の取材(クラシックモーターサイクリングらしい)とかで(ハーレー)アエルマッキ(水上機のシュナイダーカップで有名)のレーサ(250cc単気筒、チェリアーニのフォーク に2リーディングエアスクープ付きフォンタナブレーキ、デロルトフロート一体式ダウントラフトキャブ 、フレームはエグリ風(モトグッチが先)1本パイプ。 この写真の押し掛け後前輪がスリップして、カックンブレーキそうだった。 有名なA級ライダー山田純氏もアエルマッキで走行した。 300mm のカメラをもっていったのだが壊れていて撮影できなかった。 RS250 そのままのファイナルだと1速が低過ぎて一瞬だけ1速を使い 2速につないでも回転が低く加速を待つ時間ができてしまう。 メインストレートでは私でも2速が吹け切る。 750クラスは2速のみで走行のようである。 高低差もエビス程ではないもののちゃんとあり、 インフィールドセクションが下りでのシケイン通過でラインが難しい。 走行料は20分*5本で7500円(一週間以上前に現金書き留めで申し込みの場合。 葉書で受理証が送られてくる。)、 タイム計測のトラポンは1000円である。 8:30からドラミで9:00から走行である。 トイレは綺麗で、 立派な食堂もある。(1000円位) 何故かナンバーは「34」番であった。 カートのサーキットも隣接している。 自走バイクの方も多く参加されていた。 いわゆる大型バイクの方が半数である。 (2005年から)毎月1回バイクの走行会が開かれている。 平日と休日の月があり、平日はがらがらのようだ。 (がらがらなのでこの日はクラス分けを2クラスにして交互に走行。最大同時に30台走行) 本日の私の Best は 67.518秒、最速の人で 38.312 秒 コースレコードは 35.070 秒だそうだ。




潰れたボルトの頭を飛ばすために鏨、300円。 ボルトの頭を飛ばすより、鏨でネジを回す方向に力を入れる方が簡単だった。


何故か私のRS250がここに


キックアームがでなくなった。キックアームを止めているリング(ワッシャの上のリング) の開いている場所を180度回転させたら出るようになった。




リヤを44Tにした。これで下げられるだけ下げたことになる。最高速は180km/hへ。 チェーンはかなり硬くなっていた。チェーンルブをただ吹けばいいんじゃなくて 定期的にクリーナとかをつかわないといけないのかもしれない。




2005年3月30日のライダースクラブ主催のツインリンク茂木のライディングパーティ に参加した。 勢いで、P-LAP 28000円を購入した。 Best LAP は 2分51秒970。 もて耐の予選を見ると3耐参加のSDR でも2分34秒台を叩き出している。 250cc の空気圧は、1.5,1.6kg/cm**2でいいそうだ。




ヤフオクで買った謎CDI。ニュートラルランプが点灯しなくなる。スガヤなのだろうか。 (結局このCDIは使用していません)




ギヤチェンジの軸のリンクとの接合が空回りするようになってしまった。 外側のギザギザがある部分にずらして固定しなおした。




スガヤのチャンバーを入れてみる。13000rpm 回るものの全体にパワーダウンした ように感じる。ついでにブレーキパッド、タイヤも交換した。




メインジェットを換えてみようとキタコのメインジェットを入手した。 キャブの下部のネジ1つをなめてしまったので交換は中止になった。前回の掃除の時に締め過ぎたようだ。

モテギの走行会レースやろうぜ!に参加した。モテギを数周するとガス欠のような症状で9000rpmあたりから 上にまわらなくなる、数秒待つと症状は改善してまた数周すると再現する。チャンバー交換の影響だろうか。 第三京浜あたりでは再現しないのでやっかいである。




キャブのネジを交換してメインジェットを上げてみる。 #270→#290、#280→#300。 濃くすると中速が良くなるかわりに上が吹けなくなるそうで、逆かもしれない。 下側のキャブのメインジェット回りは前回の掃除からあまりたっていないにも かかわらず、かなり汚れていた。停車中のガスは全部下側で気化するのかもしれない。

筑波のライパでも息継ぎが再現した。下側のキャブの燃料パイプの問題かもしれない。

スポーツランド山梨(SLY)を走行した。ここの高度では、最初から全然ふけず、濃いことが判明した。

現象が起こるのは走行開始後数周で水温が72度を示す頃のため、 オーバークールではないかということで、ラジエータをふさいで走行した。 改善したようだ。チャンバー取り付け→濃くなる→水温に敏感になる、だろうか。




ヤフオクで、γ用のレーシングCDIを落札した。

中途半端な結論で申し訳ないが スガヤチャンバー、#270→#290、#280→#300、γ用レーシングCDI、ハイオク、でセッティングは出ているようだ。

キーを on にしても電気が入らなくなった。 キーを off にするとバッテリをつないだ時に起こるタコメータの針を3回振る 儀式をする。どうやら負荷のかかった時に電流が不足してキーを off にしたとき にバッテリーが接続されたと思っているようだ。バッテリーを2時間位充電したら回復した。




ギヤオイルの交換をした。オイルはヤマハのギヤオイル。 必要なのは700ccでキックの近くのプラスネジの場所から洩れる位に入れる。 古いオイルはだいぶ銀色の成分があり、量もだいぶ減っていた。

クシタニの走行会に参加するも、1周目で1気筒化してしまい、パドックでキャブを分解 するはめに、フロートについている細いハリガネが外れているのを発見してこれが原因 かと思い組むものの復活せず、さらにキャブにチョークから来ているワイヤーを止めている ボルトをなめてしまった、プラスチックだとは気づかなかった。


GSX-R750RK(GR79C '89)




中古車雑誌で私との出会いを待つRK。





2002 Suzuka 8hour World Endurance Championship Race




8耐のピットウォークで水谷選手にメットにサインをもらう。
「サインペンがあればサインしてもらうのに」
とひとりごとを言ったらすかさずサインペンを
貸してくれた美女に感謝。
「今でも頭を傾けて走るんですか」と質問した
ら「昔はメットが重かったからね」とのお答え
でした。
この時水谷選手が有無を言わせず書いてくれた
言葉は「我が走り、我が人生。Mr.suzuki 水谷勝」
というものだがこの読み方を私の父がせがまれ
て妹の子供達に教えたらしく、今、妹の家では
この言葉を言うのがブームになっているという。
おそるべし1982年全日本500ccチャンプ水谷勝。






2001/9/29 GSXR1100ML第3回全国MT in レークライン。
写真は秋雄@改爆隊さん。
その他のは写真はこちらから




那須スポーツランドをツーリングする私。




ターンパイクでこけて裂けたカウルとカメラ。
R1はこの時私が撮影したもの、下の私の走行写真と比べてください。




2001冬のお姿。
この写真を撮ったカメラは私より年上のヤシカで自然にソフトフォーカスになる。




2002/9/22,23に行われたGSXR-ML'02第5回全国ミーティング in 北陸に全国から
JR越美北線「九頭竜湖」駅前にある「道の駅」九頭竜駐車場に集結したRKの偉大な兄弟達。
(撮影:H@金沢さん。今回、750は私だけだった...)
RK のハンドルの高さに注意。これで行くよ、福井だろうが何処だろうが。



2003/5/17,18 GSXR-ML第6回全国ミーティング in 長野

Jさん(青服、クレバーウルフ、スズキングエントリー)
Kさん(黒服、マグホイール他改造多数)
K2さん(赤服)と関越練馬料金所で集合。
Jさんは所沢ICで降りて仕事へ。


おぎのやでどこかで見たR達にかこまれるRK。


さっそくはぐれて、走れば滅法速いがツーリングは苦手な男女達と。












最近の立ち回り先その一。
(ラーメン二郎京急川崎店)
「旧三田本店でおばちゃんにおつりを拭いてもらったことがあるのが自慢です」





最近の立ち回り先その二。
(名無しの店@田園調布)
「この場所に立つと2001年宇宙の旅を思いだします」





最近の立ち回り先その三。
川崎競馬場
「母の父ダンサーズイメージの馬しか買いません」





4.2万km。APロッキードのレーシングパッドに換えてみた。
前のパッドはNISSINの純正で、RKを購入した時に 交換された(1.4万km前)右側はまだ余裕があるが左側は完全に交換時期。
当たりが出てきた。80km/h以上では即座にかなりの食いつきを示す。60km/hでは、 効きの立上りにかなり時間がかかる。
サーキットのような固定したシチュエーション でないと使いにくい。(だから、レーシングなんだって)





京浜島。
昔はここもバイクがいったりきたり、夢の跡。





ターンパイクで R1000と。(走行写真はKさん撮影)
で、またこけました。クラッチレバーと燃料コックがおれました。
kenichiさんにもらった布で応急修理、
支点の所に布を入れてひきしろを稼ぐといいようです。




近所の模型屋さんで FRP補修キット1500円を購入。
(ボンドから2液式のが1200で出てるのでそっちがいいかも)
3層重ねたので凄い出っぱりになった。表1層で強度は裏で出した方がいいかも。




メータパネルのスポンジがいたんでいたのでマウスパッドで作ってみた。




ブレーキホースをステンメッシュにした。




第三京浜を試走しながらセッティングを煮詰めて行く(ウソ)


テックサーフのスリップオンサイレンサーを付けた。(本当はヨシムラのレース管が欲しい) 重さはノーマルより少し軽い位。 工作精度は非常に高い。 4000rpmで共鳴音がするので、4000,8000rpm あたりにピークがあるのかな。 (S/Oだからノーマルのエキパイがだけど) ポン付けでとりあえず全域極端な落ち込みはないようだ。(ノーマルと一緒?) ノーマルのエキゾーストパイプは中が仕切りで上下に別れていて見掛けは4-1なのに 4-2-1となっていたようだ。 エキパイ部はステンレス、マフラーの筒の部分はチタンだがマフラーの両端の部分は アルミ製なので手入れを怠ると粉を吹く。




スズキ純正イグニッションアドバンサー(じゃなくてR750Jの純正品、RKより+5度進角?)。 これを装着するとイグナイターに行く信号が5度分速くなるので 点化時期が全て5度進角になる。 自動進角は低回転では遅めに高回転では速めに点化時期を調整するもの。 吉村の初期イグナイターは始動と走行の2種類しかタイミングが無かったという。 RK は車みたいにノッキングしてもタイミングリタードしてくれないので注意が必要。




排気を換えたら次は吸気で、K&Nの湿式パワーフィルター。
意外に沢山の部品で構成されてる。
リストリクタ(K&N曰く、VerocityRing。原発事故報道でこういうのはオリフェスというのが専門用語らしいとわかった。)が2種類あり、
キャブが純正なら小さい方にしてね、と書いてある。
悲しい。(一番左は純正フィルタ)
沢山のネジを外して取り付け。
とりあえずこれもポン付けで動いているようだ。
8000rpm以上の吹けあがりが鋭くなったようだ。
試しにリストリクタ無しにしたところ、吸気音が非常に大きくなり、1速で
も8000rpmあたりから吹けが悪くなった。でもバックファイヤーはでませんね。
とりあえず穴の小さい方のベロシティリングを付けた状態でセットした。
負圧キャブのダイヤフラムがエアクリーナー室内と外気の圧力差で動作して
いるのでエアクリーナーを外すのはまずいと思ったが、RK用のキャブは
動作が違って問題ないそうです。





ニュートラルランプが点灯しない。これがニュートラルラルスイッチからの線が
来るダイオード。3本あるうちの真中の線がニュートラルの時はアースに落ちる。




前のオーナ?の補修跡。




2003/07/21 SUZUKIオーナーズミーティング in 渚園。
設楽の道の駅にて、HさんのR1100、KさんのR1000と。
右は、GSV-Rに跨って喜ぶクマ(kenichiさん撮影)。
(#ヨシムラの渡部篤選手がアブナイ人を見るような目つきで見てた)




2003 Suzuka 8hour World Endurance Championship Race




2003年8月。表六甲有料道路料金所。裏六甲有料道路の見物コーナにて。




2004 Suzuka 8hour World Endurance Championship Race




2004年。新穂高にて。




2004/10/23 GSXR1100ML第7回全国MT in 名古屋城。 その他の写真。




2004/12 K&Nフィルターのベロシティリングを外してもセッティングが合う ようにキャブレターのメインジェットを変えてみる。(最終的にはエアクリーナ無しが希望) RKのキャブはミクニのBST40SS。合うメインジェットは三国丸型/大(KITACO 450-3011200)。 とりあえず整備マニュアルによると標準が #95 というので #120 を 通販で購入した。注文を間違えて1個だけ届いたので とりあえず外しやすい右端のキャブのメインジェット を交換して様子を見る。1気筒だけ薄いとまずいが1気筒だけ濃いなら 問題ないだろう。 右は外したメインジェット #102.5 がついていた。 (#102.5 だったのでそのままでK&Nフィルターでベロシティリング大まで設定が 合ったのかもしれない) #102.5 と #120 を目で比較すると穴の直径が 2 倍以上違うようだ。 始動時は1気筒だけ明らかに音が違うもののチョークを戻した後は 加速時に音がうるさくなった程度で普通に走行できる。 #120にすると始動性が確実に悪くなりそうだ。(みなさんが朝バンバン空吹かしている 理由がわかりました) #120 は行き過ぎのようなので #117.5 を 4 個注文した。 (メインジェットは単品の他にいくつかの番手をセットにしたものがあってそちら の方がおやすいのかもしれません)




到着したメンジェット #117.5 4 個とPOSHのジェットレンチ。 レンチは結構大きいので使えないかもしれない。 キャブをインシュレータから少し浮かしてメインジェットを交換する。 にっくきベロシティリングも外す。 とりあえず、ベロシティイリング無しでも上まで回るようになった。 低速も幾分ラフに感じるもののまあかわらない。 アイドリングが上がり、冷寒時の始動で4気筒が全部点化するまでに時間 がかかるようになった。「ソレックスの悲鳴のような吸気音」とは いきませんが吸気音は排気音と違ってライダーに良く聞こえるものだから うれしいですね。 シート下のフレームが曲がる部分が左だけ平でない。 シートとタンクの間の黒いスポンジがボロボロでエアクリーナに黒粒を 供給している。 セッティングが難しいという BST40 だけどエアクリボックスを外したりフルエキにしない範囲で遊ぶ なら大丈夫みたい。




2005/1 懸案のニュートラルランプが点かない件の修理。 スプロケのカバーを外すと内部はチェーンオイルがタール状にこびり付いている。 ニュートラルランプのケーブルはスプロケ下の2つのネジでとめられた蓋の中へ 導かれている。この蓋をとるとオイルが流れ出てくるので写真はない。 (車体を垂直あるいは右に傾けると出てこないかもしれません) 蓋はプラスチックでできていて裏側には幾つかの接点が円状に並んでいる、 エンジン側にも円盤がついていてそこから一本棒がやわらかい力で出ている。 その円盤がギヤチェンジに伴い接点上を移動することで接点内の抵抗値の違う 抵抗でアースへ落ちることになりニュートラルランプをつけたりイグナイタに ギアが何速に入っているかを知らせたりするようだ。 この接点を布で拭って組み付けるだけでニュートラルランプは復活した。 古いオイル等をいつまでも使っているとスラッジが接点の上に溜って接続を 妨害するのだろう。オイルの洩れはゆっくりで素早くやれば数百ccの減少で済む。 この部分の写真はGSXR-750サービスガイドにはないと思っていたが、分解点検の ギャーシフトカム関係のところに写真があったポッチも写っている。 この修理はエンジオイル交換後に行ったのですが300km走行したところで またランプは点かなくなりました。中の円盤が摩耗して機能が低下して いるのかエンジン内にスラッジがヘドロ状にこびりついていてオイル交換後 もすぐに円盤にこびり付くのかわかりません。洗浄剤等の投入は別のトラブルを 誘発する可能性もありますが、なにかしてみたいと思います。


タイヤはダンロップの一番安いの(D220ST)を入れている。パイロットレースでは あった高速道路のコーナでタイヤに車体が負けてる感じが無くなったので私には 総合的に一番速いタイヤ?でしょう。10000km 走ってそろそろ交換時期なので 持ちはパイロットレースと変わらない、ラジアルになってから軟らかいタイヤ の持ちは良くなった。(アクセルを開けられる人の場合は偏摩耗など違いがあるでしょうね)


投入の儀式がやたらうるさい有名なオイル添加剤があるが 成分の殆んどは洗浄剤だという、だから投入後に回転を制限しなければ いけないわけだ、また洗浄してしまうわけだから良くなるか悪くなるかは 別にしてエンジンの調子が変化することは体感できるだろう、古いエンジンの方が 効果があるって話もこれで納得できる、でも洗浄剤だけならゴミみたいな値段で売ってる。 添加剤によっては効果があるというのは本当だろう。 某大メーカが新車のオイルに某添加剤を添加している というのも多分本当だろう。 だが某大メーカは我々が普段購入する価格で購入しているのだろうか。 (0-20W モリブデン入りというのがそれみたい。添加剤より全然安いね。)




Meguiar's クリアプラスチッククリーナ。2100円。 一番目立つ所にあるシールドのクリーナ。確かに何年ぶりかの輝きを とりもどした。かえってメータ裏の汚れが目立ってしまう。




ストレートのバイクジャッキ 品番[15-905]ラチェットレンチを差し込んで動かすタイプ。 Yの字の部分がネジになっていてマフラーの集合部を避けるだけの十分な高さがある。 (でもそこまで上げるとフレーム地上高より高くなるのでバイクの下に突っ込むのがそれなりに大変) 我が家でバイクの後輪が地面を離れるのは BMW 以来のこと。 何をするわけでもなくチェーンへの給油とホイールの洗車をした。 フロントフォークに軽い錆びを見つけてしまった。




2005/1 フロントフォークの錆を直すためにカウルを外した。 このカウルの無い状態で走ってみたがなかなか軽快である。 4番シリンダのエキパイを見るとフランジが浮いて片方のネジは無くなっていた。


「フルモデルチェンジとなった88年モデルでショートストーローク とされたエンジンをレースという極限状態での戦闘力不足という理由 (ショートストロークのままでもじっくり熟成させれば可能かもしれないが SUZUKIはここ3年連続チャンピオンを獲得しており一刻の猶予もならない) からそれまでのボアストロークに急遽戻されたエンジンをR1100とも違う 専用設計のフレームに納めている。やや細みのTZタイプのグリップを捻り セルを回すとそのエンジンはあっけなく始動した。 やや心もとないサイドスタンド (その設置場所はバックステップのポジション優先で取扱いには細心の注意を要する) を上げ。 ルマンのシケインに合わせて設定されたというやや高めの1速ギア (我々としてはこういった部分を肯定する立場) に入れ スズキの竜洋テストコースの我々の走行の為だけに予約された時間帯にマシンをコースに入れる。 走り出してすぐに気づくのはその低速での扱いやすさだ、40φという750クラスとしては 例外的な口径(R1100でも38φにすぎない)を与えられたBST40SSキャブレター(そのまま リセッティングだけでレース対応可能という)は低回転からも十分に コントローラブルに反応する。 このワイドなミシュランラジアルはラジアルの特性と合い間って低速から 従順なところを見せる。 ここ竜洋テストコースはサーキットというよりも長い直線の両端を小さいコーナで 結んだようなレイアウトである、市販車のテストをする我々にしてみれば こういった設定はかえって好都合なわけだ。 さすがに設定されたエネルギー領域にはまだほど遠いものの素性の良さは この速度域でも十分にうかがうことができる。 最近のレーシングマシンではアイドリングをするものはめずらしくないが このマシンは 4000rpm からでも有効な加速をするのだ。 直線の終わりではタコメータの針は6速12000rpmを示し、6速ギアボックスの設定が ただのギミックではないことを主張する。 はやめにブレーキングを終了し クリッピングポイントへ向けて 少しでもアクセルを開け始める、ライダーが積極的にコントロールできない パーシャル領域の時間を短くする基本は この最新のバイクでも有効だ。FRP製で軽量な専用カウルは前輪のリニアな動きを 妨げることもない。 ワイドなシングルシートに体重を預けながらアクセルを 開いて行くと 5.5J というワイドなホイールに装着された 180/55 という これまたワイドなミュランラジアルはおそろしい程の旋回力を発揮する。 流石に最新のTTF-1 マシンにはかなわないが、1000ccベースの頃と同じ所までは来ている。 R750 から容量アップのはかられたクラッチはこのような状況下でも 確実にパワーを伝達する。(レーサは効率が全てであり乾式、湿式、は関係がない 。suzuki によれば現状では湿式の方が効率が良くそれを選択しただけとのこと) 容量19Lのアルミタンクのえがく微妙なアールは体の動きをじゃましない。 FRP製のシングルシートはワークスそのものの形状(シートレールも)で あり、薄いクッション(と呼ぶのもはばかられる)だけだが 長時間のライディングでも疲れない。(もとより耐久レーサレプリカなのだから 長時間のライディングに対応するのは必然) 1名乗車のみ対応ということでリザーブタンク付きのリヤサスも 設定をしぼったものになっている。(2名乗車の高速走行を考慮しなくて 良い点もこの軽快なハンドリングを許容する理由となっている由) だがひとたびそこから更に先を求めようとするとレーサー同様の 気難しい面が顔を出す、レーサと問題点を共にするもう既にそこまできているのだ。 このマシンにそれなりに仕事をさせようと思えば中高速コーナが続く ワインディングが必要となり日本の箱庭コーナではレーサーの慣らし をしているのと同様のもどかしさが支配するのも事実だ。 だが我々はそれを所有するという喜びを否定しない。 誰しも気になる国内仕様との違いだが国内仕様には十分な中低速トルク があるもののフルパワー仕様には10000rpmからの劇的な 吹け上がりというプレミアムが加わるのだ。 読者が手に入れる場合のフルパワー仕様との 価格差がいくらになるのか我々にはわからないが その差は小さくないとしておこう。 さすがに絶対的な加速力ではR1100にかなわないものの 13000rpm まで 軽々と回るエンジンをコントロールしてコーナを抜ける楽しみは こちらの方が大きい。 ただ一つ残念なのは 200kg を越える車重(乾燥で195kg)である、 太いダブルクレードルのフレームがもたらす剛性の高さ を知れば納得せざるおえないが初期型Rのあの軽快感は捨てがたい。 定価165万円で500台のみの生産というこの高価なマシンは誰しもが手に入れるという わけには行かないがここで得た技術は必ず将来のRに反映されていくだろう。 」とか書いたのかな。(誰かこの号見せてください)




2005/1 バイクジャッキが手に入ったらフロントフォークのオイル交換。 インナーチューブキャップは25mmネジで フロントタイアを浮かせておけば殆んど飛び出さない。 不用意に真中の部分を上下させると真中のロッドの中を上がって来たオイル が左右に吹き出すので注意する。 真中の部分は特殊工具がないと外れない(?)のでキャップ部分を 外してフロントフォークスプリングを外す。長さは320mmあった。 限度の299.5mmまでは余裕がある。 用意したのはカヤバのフォークオイル10番。(指定オイルはスズキ純正オイル) 1本2100円。2本必要になる。工具と合わせると1万円近い出費になった。 手前に置いてある圧側減衰アジャスタがオイルドレインボルトに 見える人は私と同じぐうたらな人(本当はフォークを三つ叉から外して 上からオイルを抜くのが正式です)。これを外してオイルを下抜きする。 交換前でも160mm位はオイルが残っていたし結構オイルらしい粘りもみせた 一応オイルとして働いていたようだ。 圧側減衰アジャスタをはめてフロントフォークを最圧時にして フォークオイルを入れて行く。スプリングがない状態で上から141mm が油面の基準値。 オイルを入れたらスプリングを入れてインナーチューブキャップを締めたら おしまい。プリロードがほとんどかかっておらず三つ叉まで15mm位まで ストロークしていたのでプリロードを最大近くかけるように変更した。 試しに走行してみるとオイルが働いているようでフォークが突っ張る ように感じる。 この手順だけではオイルシールの交換はできない、やっぱり専用工具がいるのだろうか。




錆び落としはピカールでこすってもピンホールが残る所があるので どこかのページで評判の良かったはなさかGというのを買ってきた 3100円。適当にフォークに塗るとすっぱい匂いがする。 酸化剤ならサンポールでも良いかも。 1日たちましたが、ピンホール状の錆びにはあまり効果が ありませんでした。軽い錆びなら簡単に落ちますし防錆効果があるという ので経過を見てみます。マフラーのアルミ部分の粉を吹いている所に つけてみたら牛乳をこぼしたみたいになってしまった、アルミには良くないようだ。


私は自分で整備したマシンはもう恐くてスピードを出せないので そのつもりでお読みください。いわゆる盆栽マシンですな。 でもいじるとバイクがこんなに重い部品でできているのかとか なんの緩み止めもないボルト一本に命を乗せてるのかとか わかって良いと思いますよ。どんな名メカニックがやっていても ローソンのフロントキャリパーは外れたしね。


いろんなケミカル類があるがとにかくブレーキラインだけにはかけないようにする。 キャブ回りをふやかして走れなくなる位ならいいが、止まれないのはこまるからだ。 本田宗一郎はバッテリーの下にブレーキラインを通した駆け出し設計者であった川本氏(のち社長)に 対して工場のでっちはバッテリー液をジャバジャバこぼしながら補給するんだ こんな所にラインを通すんじゃねえと叱ったという。




追突されました。時間は午後7時頃、すでに暗く、片側一車線の緩い下り の信号待ちでバンの後ろに停車したところ数秒後にボンとカローラタイプの 車に追突された、バイクが30cm位前に進む程度で車のバンパーがRKの後輪 に当たりすこし乗り上げるようにナンバーの反射板を曲げた。 また、○レの営業車だった仕事で乗るので運転の下手な人間もしかたなく運転 するのだろう、営業車じゃあ自分の車じゃないからなれないし、 客先でトラブルがあった帰りやいやな客の相手が終わってほっとした時に ちゃんとドライブに専念できるにはかなりの熟練が必要だ。 社員にFFのテンパータイヤはフロントじゃなくてリアにつけるように教えてね。 せめてぶつかる前にタイヤをロックさせる位の腕は欲しいが望むべくもない。




NAPS 世田谷店でお買物。ライトが切れたので H4の35/35W 2835円(指定は 60/55Wだった)、黄色が ないので白を買う。プラグ CR10EK 756円*4。 G.P.COMPANY の皮ツナギ 69800円。5L という新弟子検査合格の私でも着れるサイズを吊しで作ってくれる会社 と在庫するNAPS に感謝。(残念ながら数回の使用でチャックが下から開くようになりました。 このような品はバーゲン品を買う主婦の目で目の前の一品をチェックする必要があるようです。 残念ながら私はお薦めしません。 F-oneという御店が安くオーダつなぎを作ってくれるそうです。)




電球の交換は、まずプラグをまっすぐ引き抜きゴムのブーツも 適当にひねりながら外す。ハリガネバネで電球が止まっているので それを外して交換する。クラッチのラインがオイルクーラと干渉して 被服が剥けていたので被服の向きを180度逆にした、これでしばらくもつだろう。 RK のクラッチワイヤーはレバーの所から一旦上に上がってメータ裏を通っている ために雨がレバー側から侵入することがないので錆びに強い。




エキパイのフランジのボルト80円とメータのスポンジ8450円が届いた。 リヤアクスルを外すために買った27mmのレンチが鏡面仕上げで錆びが浮いている のでフロントフォークの錆び取りの実験に使っている、グラインダで削ると 錆びはとれるが表面が荒れてしまう。 #400のダイアラッパ819円とモリブデングリス1260円。 ダイアラッパでフロントフォークの錆びを落としてみる、かなり錆びは深くて 少し削った位では取れない、とりあえず表面へのでっぱりが無くなる位まで 削って様子を見ることにした。 呉パーツクリーナ398円、ホイールの汚れ落としに使うとさすがに良く落ちる、 ゴムがだめなのでタイヤにつかないようにする。 リアブレーキディスクの内側が錆びているので花咲かGを塗ってみる。 1番マフラーのフランジのボルトも緩んでいたので外してみるとフランジの 内側に半円の抑えが2個ついている。 これをつけないと固定ネジの穴をいためるそうだ。 ボルトを締めるためにはオイルクラー の取り付けボルトも外す必要がある。メータのスポンジを付けるために メータ回りを外す、トップブリッジの下に4個の10mmボルトで固定されている。 メータ裏には7mmのボルトも使われている。 外したメータはメータを固定する金属がこすれてもうすぐ穴があきそうな 状態だった、スポンジがぼろぼろでも外さない方が良いようだ。 30分程で新品のスポンジがついた。




2005/1 49000km 18年もののクシタニの象色の皮ジャン。(当時BMWに乗っていたのでこの色にした) エリの折っていた場所がボロボロに なりかけてきた。大切にする場合は石原裕次郎のように襟を立てた方がいいようだ。 DAYTONA のオイルフィルター12189 1628円、オイルフィルターレンチ 36377 1260円。 ボロボロになったスポンジ、タンクの重量を一部負担していると思っていたが エンジンの熱をエアクリーナに伝えないようにする部品なので気にせずひっぺがした。 K&Nエアクリーナを外した 装着後 7000km は走っているが意外にきれいである。 ついでにリヤサスも外してみた。スイングアームを持ち上げてみると フルフロータサス(珍しくSがつかないね)のリンクは元気に動くようだ。 外したリザーバタン付き純正リヤサス、真中のつぶつぶは砕けたバンブラバー、 オゾン層の破壊でゴムが劣化しやすくなっているそうだ、 取り合えずバネの部分をパーツクリーナでみがいてみるがきれいにならない、 ピカールでみがくと幾分きれいになるがあまりかわらない、きれいにするのは 私には無理のようだ、サスの上下の部分は油冷ワールドにあるようなボールには なっていず普通の管だった、 そのまま再装着した。ボルトは上下で長さが違うので 注意する。




第三京浜を試走しながらセッティングを煮つめて行く。(今度はちょっとホント) エアクリ無しの#117.5メインジェット仕様になったので三京の左車線で1,2速 を使いながら全速域の吹け上がりおよび異常をチェックする。 サービスエリアではオイルの量やボルトの緩みをチェックする。 吹け上がりは問題ない、低回転からでも普通に吹け上がり発進にも変化はない、 10000rpm 前後でもきれいに吹け上がる。薄いのかもしれないが走行という意味 では問題ない。音は、R1100のFCRファンネル仕様のようにアイドリングで各気筒 がそれぞれ空気を吸っているのがわかるような音を期待したがそうはいかなかった。 燃調が薄いとオーバーヒート→オイル蒸発、悪くてプラグ融解→ピストン破損、 あるいは長期的には某リーンバーン車 のようにカーボン堆積→エンジン不調となる危険がある。 某ツーリングではガソリンが無くなるまで高負荷が続くのでそれまでには確かめたい。 エアクリ無しで問題ないのかという点だが Me109 もエアクリつけてた のはアフリカ戦線だけだし大丈夫かもしれない。 ここまでのバイク歴で一回も無しで走ったことないので一回位やって様子を見よう ということです。 サイドスタンドのマウント部の固定ナットが緩んでいた。 燃料パイプは7mmだそうだ。


私が入れているオイルは SBS蒲田 の無印オイル(1800円/L位)。 オイルの蒸発量?が少なく、ニュートラルの出方、タッチも5000km走行後も 変化しない。犬を撫でているうちにオイル交換が済むし近所の方お薦めです。




トランポに SUZUKI CARRY を購入した。 ラダーレールは市販品は高いのでコーナンで工事用の足場 2m 3800円 を購入した。 タイダウンベルトも普通のロープを使えるように結び方の練習をする。


バッテリーがあがったような感じでセルが回らなかった。2回押し掛けに失敗した 後でセルを回してみると回った。たまたま停止位置のモータのブラシの位置が悪かったようだ。




リザーブとPRIを間違えて PRI のまま一晩置いておいたら、 かぶってしまってエンジンが2気筒位になってしまった、 国道1号で回せば直るかとなんとか1号線まで行き回すが 全然解消せず、家まで押して帰った。 次の日は、4発はぜるも原付のように力が無くアレレと思って オイルレベルを確認すると凄い量なんかが入っている。 (期せずしてフラッシングしてしまった、ガソリンとオイルの混合物は とても良い洗浄剤、しばらくニュートラルランプ が点かない件は再発しないだろう) オイル交換したばかりだったけどしかたなくウルトラオイルS9 4120円 とオイル吸い 4L用 392円を買ってくる。 オイル吸いをバイクの下に置きドレインボルトを緩めると 出る出るでたちまち 4L をオーバしてコンクリ面にひろがってしまった。 しかたがないので新聞紙を広げて1晩そのままにして、 次の日にフィルターを交換し(フィルターはパッキンにオイルを塗り パッキンがエンジンに接触した状態から2回転締める) オイルを入れると 4.5L も入ってしまった。 オイル吸いはオレンジの店のがやっぱり一番ちゃんとしてました。 (昔はてんぷら油処理と同じでところてんみたいにかためてたけど 今は紙とかに吸収させるだけなのね)




ドナドナされていくわけじゃありません。 ロープワークは こちら のようにするんですが途中をちゃんと捻って外れにくくするのと 最後止めるのは荷台とロープとの間を通すのを2回すると全て ロープの途中だけですることができます。(ロープを通す操作をしなくていい)




バイク屋のおやじが作ってくれた工事現場の足場で作ったラダーレール、 最初これだけで rk を上げたのだが 下げるのは断念して そのまま NAPS へ行き FLY の 180mm x 180cm のラダレール 8000円を 購入する。しかしこのレールの 幅が丁度タイヤの幅なので降りる途中で ラダーレールが裏返るという恐怖を2度体験。750以上の場合はけちらず 2万円位のを買いましょう。 ひもは、このようにひもとあおり板の間を通して下にかけてまたあおり板の 間を通すと強力に固定できます。


こちら のページの方はBST40SS直キャブ仕様(日光サーキット用みたいだけど)で #120 なので私の仕様も それほどまずくはなさそう。


オイルの劣化原因は水分だそうだ。 だから短い距離でも必ず1回は10000rpm回すと良いカモ。


SBS に RK のパーツを取ってもらいに行ったら今日は土曜なので 価格がわからないと言うので「土曜はコンピュータが動いてないの?」 と聞いたら、RK のデータはコンピュータに載っていないとのお答え。


タイヤを交換したダンロップD221、またツーリングタイヤ。


茂原ツインサーキットの走行会に申し込むも前日の雨でRKの軽トラへの積み込み を断念し aprilia で参加した。


前輪、ベアリングのあたりからゴーという異音が発生、タイヤ交換から 3日しかたっておらず、N某 の技術力がわかる。




カワイイ taichi の燃料缶 6000円。 結局、足場板3枚構成にした、 これで乗ったままでもOK、 これでも1万2千円。 12mm*60mm のボルトを通して爪にしている。 RK も安心して積めるようになった。




左回りを探す旅、第二段、桶川スポーツランドへも遠征してきました。 ここ を南側に曲がります。飛行船の向こうに見えているのがこの橋です。 ターミネータ2で人類全滅を見てしまったおばちゃんが住んでいたような トレーラが事務所です。(なんか火事があったかららしいです) 毒ガス攻撃を検知するためか、何故か犬がたくさん飼われています。 トレーラの中で 別に人類滅亡に絶望していないおばちゃんから走行券を買います。 走行券は1日券と半日券があります。大型バイクは走行時間が少ない分安く なっています。また記入する紙が違うので大型バイクですと言いましょう。 昼はカレーライスがあります。 マーシャルはいないので自分で安全をはかる必要があります。 (オイル処理とかには出てきてくれる)タイム計測もありません。 大型ではジムカーナ的になる部分もあります、でも最終コーナから 1コーナ、2コーナまではかなりのスピードが出ます。 TZR250やR6で走りに来ている人もいました。 でもやはり原付クラスが楽しそうです、彼らは自分で車を運転して 来てるので子供ではないようです。 2ストの原付で走る場合はキャブからこぼれたガソリンをキャッチする タンク(かんたんなプラスチックのタンクをパイプでキャブにつないだもの)がいるようです。 コースのすぐ向こうの河川敷でヘリコプターが救助かなんかの訓練 をしています。飛行船も止まっています。時々パラグライダーがコース に降りてきてしまうそうです。オフロードコースは荒川が増水した時に ぐちゃぐちゃになって休止(ホンダ的だ)状態だそうです。


アーブの日記では、RC誌のパーツ至上主義 を批判しておられるが(違うかもしれません、自分で読んで判断してね)、 私の記憶にあるRC誌はノーマル至上主義だった、ネモケンさんの前に出すバイクは 無改造でなければならない、だった、ライパも確かそうだった。 設計者の顔見知りのネモケンさんには料理を食べる前に塩をかけるような真似は できなかったのかもしれない。 ノーマル相手でもとめどなく言葉があふれでるネモケンさんには誌面を埋めるのは 非常に容易いことだったに違いない。その後ドカの時代が来てパニアケースが来て 膝スリが来てパーツが来た。


RC誌では、現在初代GSXR400が出た頃のネモケンさんのあの熱い語りをよむことはできない。 (知らない方はRG250とGSXR750を誌面の上下に分けて語ったあの号を是非読んでください) その頃の ken's talk によると、ある販売店で開いたミーティング(その頃 RC誌はライパの 成功の次の企画として大きな販売店でのネモケンさんとのミーティングを企画していた) で、ある読者がヤマハの開発者を相手に質問し高度な技術的な質問で開発者を問い詰めた 、がその後で行われたスクータによるスラローム(トライカーナ、これもその頃 RC誌が支援していた 数個のパイロンを立ててスラーロームを行い技術の向上をはかるイベント)で その読者が基本的な技術も習得していないまったくのシロートだと判明したという。 このような頭でっかちの読者を育てた反省からあの語りは消えたのである。 現在は、バイクライフを楽しむ1個人が同様の趣味を持つ人間に語りかけるような内容が多く、これはこれで良いノダガ。


そういえば、RC誌編集部のすぐ近く、風吹裕也がロータスヨーロッパを買った アトランティック商会の跡のベンツ屋さんが廃業してた、今度はどうなるかな。


ゼファー400が出た時の ken's talk では 過去は何も生み出さないと批判しておられた。






2005/3/12 茂原モトブレイクに参加した。 写真等はこちら。 東京を 5:00 に出て 7:30 に到着。100kmだった。 今回、転倒して救急車で運ばれた方がいたが、自走でかつ1人での参加のようだった。 他の方とからんでの転倒で、上級者のその方が単独で走行された場合は絶対に起きない事故だった。 (その方のHPのようだ) 茂原モトブレイクは自走の方が多く、ご家族等の理解を得られていない参加者も多いと 思う。トランポで来ていても一人で救急車のお世話になることになれば同じだしいろいろ考えてしまう。 今回のベストラップは、69.424 秒。今日のベストの方は 39.621 秒。 直線では、スタートラインまではフル加速しても1コーナまでに余裕で減速できる。 また、全線1速固定である。この写真はこれでもフルバンクしているつもりの最終コーナ である。(この前見た山田純氏にそっくりである。それより太り過ぎで健康状態が心配ですね) 申し込みの現金書き留めは一週間前の日の消印まで有効。土曜日は本局の郵便局で現金書き留めが出せるらしい。


ウルトラオイル S9 は1000km も走ってないのに 1L 消費した。この時期オーバヒートはさせてないし、 やっぱり私の RK とホンダの oil はなにか相性がわるいようだ。


GSXR1100 は中古で買った場合、SBS の正規輸入されたバイクしか部品を出してもらえないそうだ。 国内仕様は安心ですね。


オートバイを自分でいじれない方は近くのバイク屋さんでバイクを買うべきだ。 業者のみが参加できるオークション等が最近はあるのでどんなバイクの中古でも 手に入ると思うし。中古車雑誌等に乗っている遠くのバイク屋さんのバイク でも近くのバイク屋さんから話をしてもらうと近くのバイク屋さんへは安くバイクを 売ってもらってそこから買うということもできるようだ。 バイク雑誌等で業者オークションで買ってきたバイクをばんばん遠くの人にも 売っているバイク屋さんは、地道にやっているバイク屋さんから見ればメンテ無視 で売上げだけ上げている嫌な存在なわけだ 、そんな所で買ったマシンのメンテだけ 押しつけられてはたまったもんじゃない。 自分の所で売ったマシンの面倒を見るのがバイク屋さんの基本。 バイク雑誌はこういうことは書けない、遠くの客を(無責任に?)相手にしている有名店が主な出稿元だから。


バイク屋さんをやっているとこいつはなんじゃというようなお客にも出会うでしょう。 それが嫌でドカとかの専門店をやられている気弱な人もいるでしょうね。




RK のホイールに使われているベアリング。右上が前輪、後輪右。 左上が後輪左、下が後輪左スプロケ内に使われている。


サーキットでも公道でも、コケタ時に助けてもらうのは出来れば自分より速い人に 助けてもらいたいもの。「ウホッ、いい男!」。男同士で何だと思うけど、バイク乗りは結構女々しい連中です。 白馬の王子様を待ってるのは適齢期の女性だけじゃありません。


転倒や事故した人を助けるのは、軽い事故の場合は自分に余裕のある時だけに した方が良い。相手はなにしろ打撲とかしているし自分の大事なバイクは傷ついてるし、 死亡宣告された患者みたいなもんで近付くと嫌な思いをすることは必死です。 感謝されるだろうなんて甘い気持ちでは近付かない方が無難です。 以前、単独事故されている方に話しかけたことがあるが、打撲で動けないにも かかわらず、救急車を呼ぶなとのことでこまった。事故を目撃したドライバーは 警察への通報義務があるので、それだけを果たすのが良いかもしれない。 (この前は凄く丁寧な方を助けてしまいました。いろいろですね。)


サービスエリアの駐車場とかで話かけられた時には以下の様な対応がのぞまれます。

  • そっけなくする。あくまでも退廃的な態度を貫く。
  • バイクに乗ってる人が話かけて来た場合は有る程度親切にする。 元バイク乗りはうじゃうじゃいるが話しかけるには数十万なりを払ってバイクを買い 寒い思いをして始めてできることだと認識させること。
  • 忙しくトイレとかいろいろ移動する。相手が次の話を始めるのなんか待たない。
  • 「なんでマフラー替えないんですか」とか「ここまでしたらサーキット行くしかないですよね」なんて言われたら「お金が無いから」と言う。とにかく「お金がないから」。
  • 連中はバイクに話かけてるんで、 バイクが喋れないからしょうがなく飼い主に声をかける。 横のオヤジが一人でたってたら誰も見向きもしない。それをよく考える。 フェラーリの排気音がしたら振り向くのはフェラーリを見るためだ (あるいは助手席にハクイねいちゃんがいないか確認するため。 フェラーリが 独特の排気音(コォォォーンズに聞こえるのは私だけ?)で 後ろから近付いて来てもすぐ判ったり、 ミッドシップにエンジンを置いてボンネットを低くしたり (ホンダがボンネットを低くしたプレリュードを出したけど 助手席の設計が悪く売れなかった)、 歩道を歩く男達に上から覗かせる為にバケットシートは殆んど寝てるみたいに低かったり (いわゆる死体観賞趣味に通ずる、マクマーソンストラットでは不可能な高さ、 皮のソファーにシートベルトで締め上げるのはボンデージにSM趣味か)、 サイドシルを高く幅広くして乗り降りの時に足を上げないといけなかったり、 広いグラスエリアとクーラの効きの悪さで軽く汗をかかせたり、 左ハンドルなのは助手席のネーチャンを美しく展示、観賞しやすくするためだ、多分) 運ちゃんをみるためじゃない。
  • 「何km/h出るんですか」と聞かれたら「320km/h」と答える。とりあえず新幹線より速くしておく。「出したんですか」と言われたら「東名の岐阜羽島で500系のぞみをアウトから抜いた」と答える。嘘だと解る奴なら質問に答える必要なんて最初から無い。
  • 「改造に幾らかかりましたか」と聞かれたら「100万円」と答える。とりあえず100万円。
  • ドカやビモータに話しかけたければ、ライパに行く。 PA とかでは嫌な顔(凄く嫌な顔をするから勉強の為一度声をかけることをお薦めする)をするおじさん が天使のようにやさしい顔でいろいろ答えてくれる。
  • 「ブレンボのラジアルマスターですか、いいですね」なんて言うが、本当に良いと 思ってたらさっさと自分で付ければいいじゃん。
  • 相手に「どのバイクに乗られているんですか」と聞きかえす。相手は大抵気まずくなって退散する。 逆に凄く長くなっちゃう場合もあるので両刃の剣。
  • 「保険の代理店をしているんです」とかも効果大。
  • 80年代のバイクに乗っている人に話かける時は注意しよう。 今、20年前のバイクを乗るには技術かお金が必要なのだ、 なつかしい中型バイクだからと言って85年当時のつもりで話しかけると 会話についていけないことになる。
  • PA で猫背で i-mode はやめましょうよ。
  • シャシダイで表示された速度を人に言うのはやめようよ、 きいてて顔から火がでそうになったよ、 つうか一度位出してもいいんじゃないかな、今のバイクはなにも起こらないよ。
  • 自分に厳しい人は他人にも厳しいので注意する。
  • 「友人のXXが○○。」という話方はしない。フカス連中の典型的な話方だからだ、 バイク乗りと話なれている人だとこの話し方をした途端におまえもあの手合かという 感じで口数が少なくなり離れて行く。
  • サーキットではどんなに遅い人でも 「このバイクの割には、このタイヤの割には、 この排気量の割には、 この走行回数の割には、この経験年数の割には、 この年齢の割には、この安全マージンの割には、 この家庭環境の割には、子供がいる割には、 この仕事の割には、この装備の割には、ローンが残ってる割には、 この天気の割には、 二日酔いの割には、 この込み具合の割には、 左回りの割には、 速い。」と思っているので口のきき方に気をつける。 (陶矢アキラ)「まずい、プライドを傷つけたか」にならないようにする。
  • バイク乗りの飲み会に行ってよっぱらうと遅い奴相手に朝までバイク談義したりして 次の日に自己嫌悪に陥るので程ほどにする。
  • バイク乗りは嘘つきでかまわない。いかにその10分なりを充実した嘘でかためるか が求められている。 いろんな人に話してる内に相手の反応のパターンを学習して嘘もだんだん上達するから不思議だ。 喋ったことを全部実行してるバイク乗りなんて危ない人だ。





    RK のパーツリスト、意外とお安く1000円位だった。後輪のゴムダンパー。 前後輪のベアリング。クシタニのゴキブリ。 何故かプラグレンチがなかったので純正工具を購入。 黄色いバネも購入。いいんすかね。


    ハンドルは低くしていたが、走行会でブービーメーカになるので 少し考えて元の高さにした。MotoGP では、空力とかよりパワーが でちゃってるのでとにかくバイクを押さえ付けてアクセルを開ければ 勝てるようになったのでポジションはオフロードバイクみたいになってる。 私の走行するミニサーキットでの RK も同じようなもんで ハンドルは高い方がよさそう。


    オーリンズのリヤサス、最初の交差点で違いが判るなんて程じゃないが、 アクセルのオンオフでもリヤが上下しているのが判る程、 あんなバネレートで良く動くものだ。でも動くのが判るからって 速く走れるわけじゃないけど。


    P-LAP というのをつけると桶川でも自分でラップがはかれるらしい。


    いつも通る道でも時間帯が違うと取締りをしていたりする。 特に8時前の出勤時間帯が良くやっているようだ。その時間帯ならば トラックなどの職業ドライバーが少ないし、通勤で急いでいるので 切符を切る時に抵抗されない(彼らも人間だ)からだろう。




    空気圧計とタイヤパンド。


    5万km を越えた。2.8万km で購入したので 5.6万km が次の目標。




    ニュートラルの出が悪くなったので本当に ウルトラ oil は劣化したようだ。 信頼するトヨタの oil を試す。


    ベースオイルの粘度はどんなオイルでも30Wまででそれ以上の場合は 添加剤で出しているそうだ、そして添加剤はいずれスラッジになるので 30W以下の表示のオイルに比較すると寿命が短くなるそうだ。


    今、 梨本塾 というのが熱い。トミンモータランドというミニサーキットを リッターバイクなどで走る走行会だが模擬レースも最後に行われ ビデオが HP に公開される。参加者が BLOG 等で体験談を語り 参加者を伝説化しそれがまたレースへとフィードバックされる。 正直言って 見ているだけでも8耐より全然おもしろい。 で2005年3月27日のトミンモーターランドの梨本塾です。


    RK はノーマルで 240km/h 位は出るのでその速度でそこそこ曲がれるように 作られている。ロードライダー誌の改造バイクもたまには200km/hで曲がれる 場所でテストして記事を書いても良いのではないか。 かの年代のバイクの一番の問題は高速での操安性だったし。


    高校生と待ち合わせする機会があった。彼らはファミレスの駐車場の 車止のコンクリと壁の間に原チャリを止め、壁の植木の中に身をうずめる ようにして待っていた。長年の大人や警官の迫害によってそういう行動が 身についているのだろう。若さがうらやましいですね。


    私のRSに張ってある那須のシールからトミンで走りに来ている若者から那須の オフィシャルからのひどい扱いについて話がおよんだ。私は那須の方々は 比較的マシだと思ったが相手の年齢を見るのかもしれない。見ず知らずのおじさん に自分の正統性を熱心に説明する彼がうらやましかった。 (本当は26秒台というタイムがうらやましい)


    ハンドルを高く戻したのは正解のようだ。 低い時はアウト側へハンドルを切って曲がっていた(そうしないとバイクが立ってしまう) のがハンドルが内側へちゃんと切れて曲がって行く、 ただ、前輪で曲がっているような感じがこわく感じる。


    他の人の走行を見るとかなりラフに逆ハンを切って倒し込をしているようだ。 私も昔はそうだったのだがいつのまにかしなくなっていた、スラロームの練習を しようと思う。(モテギの講習会でホンダの加藤選手に質問したところ、外側の足 をぐいっと入れて倒すそうだ、難しい。)




    鈴鹿の走行会で隣の PIT になった人のマシン。 高吉選手の頃のヨシムラ TTF-1 マシンそのものだと言う。 その後筑波の全日本で所有者の方をおみかけしたレース関係者のようだ。




    RSタイチのインナー。みんな着ているので購入。7500円。







    GSXR-ML の OFF会に参加。


    TOYOTA純正の4L 2000円のオイルはきびしい GSXR-ML のツーリングにも耐えた。 渋滞でギヤの入りが渋くなったものの量は減らず、ホンダ純正オイルよりも 油冷への適正は良い。




    茂原ツインサーキットのモトブレイクに参加した。 全周1速固定でもTOYOTAのオイルは減らなかった。 (いや、別にオイルのテストじゃないんですけど)




    交通博物館の RK。 ライトの下にゼッケンプレートを付けたらしい小穴が空いており レースをしたかカタログ写真の撮影に使われたか? 埼玉への移転には連れてってもらえるのだろうか。(やま@7RRさん撮影)




    フロントのブレーキパッドを交換した。ロッキードのパッドはまだわずかに 残っているもののNISSINのキャリパーはパッドが薄くなるとブレーキの遊び が大きくなってしまう。交換したのは流行のZCOOのセラミックシンダードの パッドどうでしょうな。かなり甘いようだ。




    フロントホイールのベアリング交換。 20mm のアンカーボルト400円(これ自体、工具屋の人から兄ちゃんなんに使うんかという目でみられた位で、岩山かなんかに打ち込みそうなごつさ) でベアリングを抜くもののかなりトンカチで叩く 必要がある、外したベアリングはグリスも綺麗で交換の必要はないようだった。 2つのベアリングの間にはパイプが入っているのだがこれの太さとホイールの穴の太さはかなり違うので ドライバーかなんかでぐりぐりするとパイプをずらすことができてアンカーボルトなんかなくても 裏からたたけるようになるようだ。 異音の原因はスピードメータの取り出しのギアで錆びて錆びがベアリングの方 まで飛び散っていた。分解できないのでオイル漬けにしてグリスで蓋をして 組み付け。


    走行会に行くと良くジャンケン大会になるので勝ち方のまとめ。 最初はグーの次に出すのは、どれかに決めておくか、相手が前の回に 最初はグーの次に出したのにする。それ以降は相手が出した手を次の回に 出して行く。この方法だと結構残ることができる。また同じ戦略を採っている人も残る。


    今年もエコパへ行ってきた。翌日の竜洋テストコースでのGSXR1000K5の試乗が 目的である。テストコースは工業団地の中にあってカワイピアノの竜洋工場の 近くにある。(正確にはより浜松寄り)150号線は浜松駅の近くまで行っているので宿泊は浜松のビジネスホテル にして150号線で竜洋まで移動すると良い。浜松駅の飲み屋さんは駅の向こう側に 広がっているのでそちらのホテルが良いかもしれない。150号線からの右折はエネオスの次のローソンが目印。 辻村選手と握手した、レジェンドである。


    今、雑誌のレーサ試乗記事の取材には、モータサイクリストから梨本氏が 参加する。これは、他誌の記事には現れていないがかなりのプレッシャーである。 誰よりも大きな音をさせスピードを出し速く帰って来る、レーサーを止めると まわりをメーカの開発が囲む、というような情景を他誌のライターは横目で 見るわけだ、売上げとは関係ないがいわゆる書き手の弱さが誌面に出る。




    オーリンズのリザーバタンクへの配管とフレーム(テープの色が変色している部分) が干渉してオイルが全部抜けてしまった。フルフロータサスの上端はフレーム固定 なのでクリアランスに変化はないと思ったが、以外と動き、この程度のクリアランス では不十分だったようだ。




    外してみたところ、フィッティングの所が天津甘栗のように縦にパックリ割れていた。 初期不良っぽい。




    サス無しでサスを待つRK。戻って来たサスをサスの長さを長くしてとりつける。 (走行写真を見たところスイングアームが水平になっていたため) 走行会の準備でオイル交換、夏のせいか10-30Wのオイルが売っていたのでそれにする。 抜いたオイルは減ってはいないものの粘度がかなり低下していた。 (オイル処理はガソリンスタンドでも引き取ってもらえるのでひいきのスタンドがある方は スタンドが良いでしょう。あれ筑波にもオイル入れがある)


    私ははずかしげもなくPLAPを装着してライパを走行する人間なのだが、根元さんは締めの ミーティングでタイムではない走行会であると話しておられたが多分根元さんはタイムを計測するとなれば別の走行ができきる 人間なのだと思う、私は残念ながらPーLAPの有無に限らず走行に変化はないのだ。 (根元氏は多分タイムを詰めようと自分のマージンを詰めて行く作業をすると 当然同時にトラックに居る全員の安全マージンを削ることになるという ことを言いたいのかもしれない。レースではそれは了解の上なのだ)


    いつもより倒そうと思って走行するとフロントが切れ込んで恐い思いをするが それは、いつもと同じ速度でよりバンクさせるために逆ハンをしているから のようだ、より速い速度で進入するかアクセルを空けて行くようにする。


    スクリーンは、スクリーンクラフトというところに直接コンタクトすると 良いようだ。古いスクリーンがあればすぐに安価に作ってくれるそうだ。




    2台積みで筑波のライパに参加。1番 pit を確保する。




    洗車とオイル交換。RA271を不格好といった宗一郎氏がこれを見たらなんと言うだろうか。




    この写真、ライト周りの微妙なアールがグラマラスであることや、 レンズの関係でマフラーが細みに見えるなど、RK の魅力が良くでている。 (私の RK の汚さも)

    梨本塾にRKで参加。 梨耐前の練習時には私も頻繁に通っていたのですが出てもいないのに梨耐以降足が遠のいていました。 タイムは、P-LAP 表示で00:32:952 計時予選結果 00:33:138 自己ベストには届きません。 1回目の走行時間で周りは梨塾初参加の方が慎重に走行を開始する中、 結構いけるんじゃないか、抜かないのは俺が紳士だからで遅いからじゃない、 なんて脳内変換ドーパミン走行しているうちにもう電池切れ。 2回目の走行時間は空くのを待って3周のアタックに賭けようとしている うちに一コーナで転倒車が出て赤旗終了。 梨本さんに肩を叩かれ「走らないの?」、前回偶然トミンでご一緒した時の 「今日の調子はいかがですか?」よりは一歩前進二歩後退でしょうか。 大垂水時代の知り合いの口ぐせが「走ろうよ!」だったがあれは口ぐせじゃなくて 私といると皆思うのかな。 ちなみに同行したトライアンフ650デイトナは 「○○さん、覚えようよハングオン!」と御指導いただきました。俺等って...... その後の計時予選、レースともに開始前の練習時で電池切れ、 少ない実力を100%発揮するのさえかなりの体力がいることを認識しました。 初めて見学でなく参加してみて判ったのが、申し込みから当日までの日が空く ことによるテンションの下がり方、 友人と参加するので前夜祭をやることによる二日酔い、 当日下手なりにどうやって見せ場を作るかを一生懸命考える自分、 僅か15周でも耐久レースの要素があり抜きどころの少ないトミンでも十分にレースであること、 少なからぬ危険を共有し後方での単独走行でもレーストラックにいる全員がレースを作っている (サーキットは最後がまた最初に繋がっているため、あたりまえだけど始めて気づく)という実感、 高揚、 たび重なるアクシデントでDクラス3位になれば 蛙さんの「3位です本人は気づいています」や 猫さんの「初参加でいきなりBクラス優勝」というイカさん実況をプレイバックする自分、 普段のトミンとはまったく違った一日。肉だけ残ったスキヤキ。


    ヤフオクに出品いたしました。





    GSXR750RK(GR79C)

    GSXR750RK('89)です。 中古で購入し2回車検を通し今年の6月に車検切れとなりました。 それ以降はミニサーキットでの走行に使用しております。 走行55000kmです。 スタンドはもちろん付属しません。 左フロントフォークのシールからオイル漏れが始まっています。 フロントフォーク軽く錆が発生しています。 アンダーカウル右側は購入時より白です。 リヤカウルは左に転倒した際に裂けたので自分でFRPで補修しました、 強度は十分ですがみためは御覧のとおりです。 左グリップラバーは緩くなりましたので左スイッチボックスに 接着してあります、グリップラバーを外す必要がある場合は 切り裂いて外すしかないと思います。 ニュートラルランプが不調でつかなくなることが良くあります、 原因は左スプロケ下のセンサー部の接触不良で直す場合は 交換の必要があります。ニュートラルランプがつかない状態 ではサイドスタンドを出すと必ずエンジンが停止することに なります。 マフラーはスリップオンですがノーマルマフラーもあります。 (ノーマルマフラーたちごけキズあります) エアクリーナを外してメインジェットを変更してセッティングを出して います。ノーマルエアクリーナあります。 FRP外装は経年変化によって細かい割れ等が発生しています、写真は 綺麗に見えてしまうのでご注意ください。 カムチエーンテンショナー部からオイル滲みあります。 フロントブレーキパッドはZCOOに交換後2000km走行しました。 タイヤは五部山でしょうか。 リヤサスは写真ではオーリンズですがノーマルに交換後お渡しになります。 落札価格プラス5万円でオーリンズおつけしますので希望の場合は落札後 おもうしつけください。 現在はナンバー付きですが、廃車後お渡しとなります。 RKとしてはとりあえず現在走行をしている最低価格レベルの状態とお考えください。 丈夫なエンジンですがなにしろ15年が経過しておりますので 何時故障しても不思議ではありません。 その点を理解されている方の入札をお願いします。 東京都、神奈川県でしたら軽トラで配送いたします、 それ以外の地域については落札者御本人様に配送手段確保の上、引き取りに 来て頂きたいと思います。当方、東京都大田区からの出品です。 落札後、現車確認していただき、キャンセルの場合はyahooの手数料の御負担 をお願いします。 http://netnews.gotdns.org/WallStreet/6351/bs50/GSXR750RK/ にフルサイズの画像がありますので御覧ください。

    更新済み: 8月 22日 12時 2分

    エンジン上のエアダクト左右ともありません。

    更新済み: 8月 22日 21時 50分

    8/24 午前 RKで筑波のL枠走行します。見掛けた方は声をおかけください。

    更新済み: 8月 23日 12時 52分

    フロントフォーク左右ともアンダーブラケット下2cm位 のところに2mm位の錆穴が数個あいています。 インナーの処理がRKは特殊なので油断していました。 RKファンの方々すみません。

    更新済み: 8月 23日 13時 28分

    イエローバルブがなかったので左のバルブはホワイト になっています。左右が同じ色でないと車検にとおらない ようです。 チェーンは前回の車検時に交換したのですが、 かなり後ろまで引かれています。 交換時にちゃんとコマあわせをしなかったのか 本当に伸びてしまったのかはわかりません。

    更新済み: 8月 23日 21時 19分

    輸出仕様かという質問がありましたが、 輸出仕様のRKが10万円でヤフオクに出品されるなんて 男の夢ですね悪魔のZの書き出しみたいです。 私も是非そういう出品を目撃してみたいものです。 筑波は天気が悪ければ別のバイクで行くので了解ください。

    更新済み: 8月 23日 23時 46分

    入札していただきましたね。 では、筑波の走行はやめておきます。 (サーキットでこけたことのないへたれですけど) 関西の方のようですがとりにこれらるんでしょうかね。 大変ですね。

    更新済み: 8月 24日 5時 14分

    入札前の現車確認も、夜21:00~24:00あたりに 大田区の蒲田周辺まできていただければ可能 なので気軽にQ/Aにメールアドレス付きでお書き くださいね。

    更新済み: 8月 24日 17時 22分

    筑波からもどりました。全然タイムも短縮できないし最終コーナで アクセルを戻すチキンぶりなにしにいってるんでしょうか私。 元WGP125チャンプが4輪の練習にこられていました、爽やか系の顔で驚きました。 本日、現車確認希望の方にお会いします、あいのり希望の方いらっ しゃらないでしょうか。RK談義しましょう。








    RK は、NSR250,HONDA RS250 で加賀山をライバルに仙台でレース活動後数年のブランクを経て限定解除した方 の元に行くことになりました。 現車確認に保土ヶ谷PAに行くと値段なりの状態なのは理解しているとにかく RK の オーナになりたい、4年前の私と同じ気持ちの人(体型も)がそこにいました。


    ヤフオクのおかげでこの土壇場になって RK の知り合い?が 増える。なんか RK 乗りがうらやましいような...


    RK には常にヨシムラの亡霊がちらつく(1コも部品は使ってないのに)。




    RK 最後の日。東京は台風接近で荒模様。



    GSXR1000K5




    都内某所で売りに出されていた K5。


    品川陸運局にて名義変更を行った。同じ品川ナンバーなので、 Aの建物2階で売り主に記入捺印(三文判で可)していただいた、 譲渡証明書、委任状(2輪の場合は記載変更の委任なので注意)、 30円で購入するOCR用紙を記入し(これも6番の記載変更を選択する) 、住民票、車検証と窓口に行く と手数料納付書?をくれてこことここに記入しなさいといわれる。 それに記入して同じ人に提出すると数分で新しい車検証を交付してくれる。 次は、Cの建物1F、11番窓口でなんか税金のやつというとOCR用紙をくれるので これも車検証を見ながら記入する。例がどこにも貼ってないのでこまるが なるべく丁寧に書く、売り主の住所、氏名が必要なので古い車検証(これはAの建物で 取り上げられる)からメモしておく。




    売り主の代理人であるアーブさんの助言もきかず。とりあえずトミンデビュー。 この K5 のことを今日の走行者5人中3人(私もふくめると6人中4人)が知っており、アーブさんのサイトの力を知る。 とりあえず、2速固定のツーリングで RK のタイムが出たので良かった。 余談だが、この D70 で撮影した画像は、上のアーブさんの撮影した画像と比較 するとなんと地味な発色だろうか。 こうして横から見るといろいろなことがわかる。 センターアップにする空間なんてサスを通す穴にはないし、 CBRみたいにピポットレスにでもするしかない、 エンジンの前はアフターマーケットのマフラーに気を使ってか大きく空いている。 4気筒をダウントラフトタイプにすると股がひろがっちゃうが インジェクションでトラブルフリーになったことだし、ダブルクレードルに してもいいんじゃないかな、R1 はかなり弯曲したツインスパーになってるし。 エンジンとカウルの関係を見るとカウルで雰囲気を出しているのがわかる、 もしフロントアクスルの前方にカウルがあってはいけないレギュだったらどうだろうか。


    「アーブのK5」と命名した。なんか切札っぽいし。




    筑波サーキット。最終の直線番長、(私と同じ位のウデの人の)CBR600RR が止まって見える。 元垂水の走り屋氏によると数年前の JSB よりパワーが出てるとか、彼はいろいろ探してもらって福井に あった K5 を購入したそうだ。 アメリカ仕様はリヤアクスルシャフトが割ピン止めだそうだ。


    いただいた当初発生していたエンストだが、なにもしないで発生しなくなった。 それなりに走行していれば発生しなくなるようだ。




    ハンドルのバーエンドが脱落しそうになっていた。緩くしか締められていなかったようだ。 アクセル側も同様だった。これは元々の構造によるもので小指は完全にバーエンドだけに かけて握る私にはこまった状態だ、しっかり固定できるバーエンドが欲しい。


    筑波の走行会では発進時のエンストが発生した、なんらかの条件で発生しやすく なるようだ。とりあえず、ハンドルを切った状態での発進は厳禁なマシンのようだ。 (これとかドンツキとかを無くす為にスロットルバルブを2個付けたりするのは やめてくださいね。回した時良ければそれでいいです。)


    筑波では数周でブレーキがフェードするようだ、レバーが奥まで握れてしまい、 焼けた匂いがヘルメットの中まで感じられる。 どうせ3周位しか気力が持たないのでしばらく純正で遊ぶことにする。


    左タンデムステップのアームをシートレールに固定しているボルトのうち 1本が無くなっていた。


    ツーリングで雨中の走行を行った。私のポジションだと何故かライトの正面が見えるので そこに跳ねる雨粒が線香花火のように美しい。


    そろそろ走行距離が2000kmになったのでオイル交換を考えなければならない。 トヨタのオイルは本当に信頼しているし水冷の方がオイルの負荷も少なそうだが、 検討の結果 SUNOCO オイル REDFOX 15W50 20L 18000円なりを購入することにした。 (通販で購入する素性の知れない有名ブランドオイルにも批判的なんですが、 あんまぐだぐだしてると自分の足を撃つみたいなことになるし)


    軽トラに2台積みする場合、荷物入れに使っているプラケースの 置場が無くなる(RS250と1000を積んでその間に入ることは入る)ので ルーフキャリアを注文した。軽トラを新規にトランポ目的で購入する方は ディーラオプションで付けてもらうとよいだろう。


    ガーと気持ちよく加速して「デテルナー」と思ってメータ見ると140位だったりして 結構音とかで出してる雰囲気にさせる玩具です。


    タンデムステップ固定ボルトを注文、110円。パーツリスト2000円は良かったが整備マニュアルは3万円、英文 なら2万円とのこと、いずれ買っちゃうのはわかってるんですが今回は我慢、我慢。


    BLACK MOON さんのサイトは、原付の頃の話をちゃんと書かれていて興味深い。 原付でバイク屋さんとかに行ってじゃけんに扱われた疎外感みたいな ものがリッターバイクを振り回す(文字どおり振り回すノダ)現在も心の何処か にひっかかりがある証拠ではないだろうか。 最初に出会ったモンスターR1100の秘密がヘッドの面研だけにあるのも 、内燃機関なんてカルノーサイクル、 所詮圧縮比とそれを許容する高オクタンガソリンの普及の問題 だけで効率が決まるもの、 ごてごてしたアクセサリーは新型バイクを素晴らしく見せ、 雑誌のカラーページを彩り バイク屋の手間賃を稼ぐ為の飾りにすぎないという真実の姿か。


    RC誌を読むと、 写真は殆んど公道だし、 下りカーブを上手くコーナリングする(ターンパイク下り専用ROMとか)、 とかの記事ばかりである。 フェラーリオーナズクラプ会長が常磐の件でつかまったし、 編集部の人はサーキットでしかお見かけしないし、 私も別にそんなに金をかけなくてもサーキット三昧、 なんか違和感あり。


    鈴鹿の走行会の申し込みにクシタニへ。 羽田店時代から(一方的に)知っている ヨシムラカラーのR750を持つ店長さんが居た。 篤レプリカのツナギを作りたいのはやまやまなんですがお金ないです。




    オイルが来たので筑波サーキットで交換、 サーキットは廃油を捨てることができるので便利である。 交換後はミッションが渋くなり、高い番数のオイルはこういうものかと思う。 前のオイルはモチュールのようなのでその差かも。


    右側の反射板が無くなっていた、いろいろ無くなる。


    このバイクで下りのターンパイクを初めて走行。攻める気持ちがわかりました。 茂木で下り坂で開ける練習をしてターンパイク行くと皆速くなりそうです。




    ブリジストンのBST-002を注文した。憧れのベタベタタイヤである。 パイロットレースでコケタ記憶もそろそろ無くなったということだろうか。 ブリジストンは筑波で500円位でBS同士なら交換をしてくれる。ホイールだけ 持ち込む必要がある。判官贔屓なんだけど、ホンダとかBSとかこういうのを 見ちゃうと認めざるおえない感じです。


    ミラーが出し入れできるのは、渋滞路で本当に便利。電動にならないかな。


    トミンを走行。1速で、行きも帰りもフロントが軽くなる程気持良いものの肝心のタイムが RK と同じである。 リヤのカウルにオシリをつけて走ると良く曲がるものの切れ込むこともある。サスペンションを全て2段締め したところブレーキが効かないような気がした。


    NHK のステダンをいただいた。


    バッテリーがあがった。長い下り坂で押しがけには成功するものの FI の ワーニングがでっぱなしになる。


    バッテリーを外して充電したところとりあえず、ワーニングもでなくなり 復活。


    トップレーサへのサポートのレポートなどを載せているメーカの Web などがあるが底辺レベルのレーサへのサポートとなるとまったく異なる メーカががんばっていたりする。


    筑波サーキット、恐い位に空いています。 翌月の予約は確かに10分位で一杯になるのですが、 殆んどキャンセルされています。 オフィシャルさんもとてもやさしい。遅刻して後5分位しか走行時間がない時にコースインしようとしたら、 走行チケットを見て「ちょっと待ってください。次の枠に書き換えてあげましょう」だって、 レース並に厳しいマシンチェックなど数々の伝説は何処へ。


    フレディスペンサーは、'85 のオフに彼女に振られたので 速さが無くなったと言われている。だが、'83 あたりのポディウムで スペンサーと写っている彼女のなんと可愛くないことよ、 アイダホあたりのミスポテトもかくやである。 アーブは、インフォメーションの少ないスペンサーの為にヘルメットの汗の量で マシンのセッティングを変更していたというが、汗には別の意味もあったのかも...


    スペンサーは最初、好青年として雑誌に登場した、'82 のアッセンの雨の予選で 転倒した他のレーサは皆レギュレーションに違反してマシンを取り換えていたが スペンサーは真面目にボロボロのマシンで予選に出たとかである。 その後、片山やケニーが苦労して作り上げたグランプリを モータホームから出てこないでぶちこわしたと言われたりして、 '86 あたりには最低の評価に。 そういえば、あの江川氏も高校時代は好青年として扱われていた、作新学院成績は29番とマガジンのグラビアで紹介されていた。


    バッテリーを充電して復活させてから2日、またバッテリが上がった。 イモビの負荷にも耐えられないようだ。前のオーナの半年1600kmのペースでは MF バッテリでも耐えられないのだろうか。


    エビスサーキットで行われている虎の穴に参加した。 参加費をけちって1日目は友人が参加しているのを見学、 2日目は参加したが2日目はあいにくの雨となった。 ここで教わったことは書かないが(巨人の星で目に炎が出るシーンみたいに判る人にはヒントだけで判っちゃうからネ)、2日目がウェットと なったことでレインを装着した R6 に試乗させていただいた、 R6 はかなり大胆な入力を許容するように安定していた、 K5 ももう少しフロントの空気圧を高めてみようと思う。 東コースはシケインも改修されたようで気持ちよく走行できる ようになっていた、またブレーキングに不安のないマシンでは 下り坂はハンデにならないようだ。(いっちゃった場合は別だろうが)


    バッテリーを交換した。他に適合車種のない型番のようなので 取り寄せになることが多いようです。




    長浜、GSXR-ML 全国MTに参加(細谷さん撮影)。 梨本塾から帰宅後、GSXRの宴会の為に長浜まで東名、北陸自動車道で移動中、由比の辺りで ハイビーム、パニアケース満載でやっこだこのように走行する BMW RT に抜かれる、 比較的込んだ状況の中 K5 の加速力を生かしてなんとか追いすがり日本坂トンネルで 「免許証いらないのかよ、青いメット?ネモケンか?」と 相手のメットを見るとローマ字で全日本3連覇 の方のお名前が(もちレプリカでなく中身も本人、茂木MotoGPからの移動中と思われる)、 こちらのガソリンの尽きる浜名湖PAまで楽しい弾丸ツーリング?となりました。 PAを出て追い付くかと全力加速中に、面パトの捕食現場に遭遇、そこからはゆっくりツーリングしました。


    '06のGSXR750,600 が発表になった。クラッチがだいぶ上にいって フレームが曲がって来た、つまり、R1 に近くなった。


    ある場所に、もて耐号と OZAWA さんがいらした。 塗装を褒めていたらぼそっと「デザインは私の仕事じゃないんだけどね」と言われた。 OZAWAさん相手にサスとかエンジンの話する度胸ありません。


    皆が買ったバイクの性能を100%引き出したらどうなるかは、20年前に学習した。 保土ヶ谷で300km/h出る?バイクを肴にヌルク会話するあたりが平和では。 必要な人だけが購入するようになるとMotoGPマシンなみの価格になると思う。

    CBR600F4i(2002)




    オークションにて落札。いいのか?


    引きとってきた。全体的に年式なりのヤレが見られるものの走行機能自体には 問題なさそうで、アクラのフルエキと作りのしっかりしたバックステップ、 シングルシートが印象的である。 売り主さん4月頃、オクで購入し、筑波を2回走行、4秒台(レンスポ装着時) だそうである。(売り主さんは何故かSUZUKI党で RK を売った方も話していた 川崎のSBSからγを買われたそうだ。TL に乗ったり、また筑波最終コーナでK1を廃車にも されたとか)


    カラーリングからこのマシンは、 2003のもてぎオープンEnjoy3耐で26位になった、MP.NOBU&UNIQLOという チームのものだったようだ。 もてぎのリザルト


    このマシンは友人と練習用に購入したもので友人が殆んどのお金を出した。


    整備マニュアルが RK のものと比較すると写真も多く 大変判りやすい(RK は'89 なので現在は SUZUKIも改善されてるかも)。 マニュアルとかは開発からすると地味な作業なので大変評価できる。

    タイム

    年月サーキット名天候バイクタイム
    2005.4.11ツインリンクモテギRS2502:51:592
    2005.4.13鈴鹿サーキットRS2503:25:809
    2005.4.24岡山国際サーキットRS2502:14:693
    2005.4.28筑波サーキットRS2501:24:274
    2005.5.05茂原ツインサーキットGSXR750RK1:05:046
    2005.6.01ツインリンクモテギRS2502:48:440
    2005.6.08茂原ツインサーキットGSXR750RK1:05:941
    2005.6.10筑波サーキットRS2501:22:734
    2005.6.11SLY(スポーツランド山梨)曇時々雨GSXR750RK0:49:150
    2005.6.14筑波サーキットRS2501:17:993
    2005.6.15ツインリンクモテギRS2502:54:993
    2005.6.25トミンモータランドGSXR750RK0:33:288
    2005.6.29茂原ツインサーキット雨のち曇RS2501:00:519
    2005.7.02トミンモータランドRS2500:33:240
    2005.7.05筑波サーキット曇のち晴RS2501:19:387
    2005.7.07トミンモータランド曇のち晴GSXR1000K50:33:315
    2005.7.10トミンモータランド曇時々晴GSXR750RK0:32:909
    2005.7.14筑波サーキット雨のち曇GSXR1000K51:17:475
    2005.7.17茂原ツインサーキット曇時々晴RS2500:59:879
    2005.7.21筑波サーキット曇時々晴GSXR1000K51:14:823
    2005.7.29筑波サーキット曇時々晴GSXR1000K51:15:367
    2005.8.03筑波サーキット曇のち晴れGSXR1000K51:14:057
    2005.8.05筑波サーキットRS2501:16:688
    2005.8.10茂原ツインサーキットRS2500:58:665
    2005.8.11筑波サーキット曇のち晴RS2501:18:567
    2005.8.11筑波サーキット曇のち晴GSXR1000K51:13:378
    2005.8.24筑波サーキットRS2501:16:330
    2005.8.27筑波サーキット曇のち晴GSXR1000K51:14:868
    2005.8.30トミンモータランドGSXR1000K50:32:139
    2005.9.01筑波サーキットGSXR1000K51:15:703
    2005.9.09トミンモータランドGSXR1000K50:32:062
    2005.9.11エビスサーキット東GSXR1000K51:25:160
    2005.9.14筑波サーキットGSXR1000K51:13:702
    2005.9.15トミンモータランドGSXR1000K50:32:864
    2005.9.27筑波サーキットGSXR1000K51:13:836
    2005.9.30筑波サーキットGSXR1000K51:15:212
    2005.10.12茂原ツインサーキットCBR600F4i0:58:313
    2005.10.19鈴鹿サーキットCBR600F4i3:03:540
    2005.10.23トミンモータランドCBR600F4i0:31:240
    2005.10.25茂原ツインサーキットCBR600F4i0:56:939
    2005.10.25茂原ツインサーキットGSXR1000K50:59:326
    2005.10.26ツインリンクモテギCBR600F4i2:29:210
    2005.10.28トミンモータランドCBR600F4i0:30:271
    2005.10.29茂原ツインサーキットCBR600F4i0:56:963
    2005.11.4FSWGSXR1000K52:10:759
    2005.11.5ツインリンクモテギ北ショートコースCBR600F4i0:51:678
    2005.11.9FSWGSXR1000K52:13:496
    2005.11.16筑波サーキットGSXR1000K51:12:513
    2005.11.17茂原ツインサーキットGSXR1000K50:58:225
    2005.11.19筑波サーキットGSXR1000K51:12:258
    2005.11.20ツインリンクモテギ北ショートコースCBR600F4i0:54:339
    2005.11.25筑波サーキットGSXR1000K51:12:460
    2005.11.29筑波サーキットCBR600F4i1:12:532
    2005.12.14茂原ツインサーキットCBR600F4i0:57:898
    2006.1.19ビーチサイドGPGSXR1000K50:38:264
    2006.5.4筑波サーキットGSXR1000K51:10:813
    2006.5.4ツインリンクモテギ北ショートコースGSXR1000K50:51:367
    2006.5.17筑波サーキットGSXR1000K51:12:446
    2006.5.17桶川スポーツランドGSXR1000K50:57:241
    2006.5.20ツインリンクモテギ北ショートコースGSXR1000K50:51:742
    2006.5.26筑波サーキットGSXR1000K51:11:160
    2006.5.31筑波サーキットGSXR1000K51:11:681
    2006.12.24トミンモータランドCBR600F4i0:31:628
    2005.0.00筑波サーキットGSXR1000K50:00:000